広隆寺こうりゅうじ

嵐電嵐山本線太秦(うずまさ)広隆寺駅の目の前に、「太秦廣隆寺」と深く彫った石碑と大きな楼門がそびえる。国宝指定第1号の弥勒菩薩半跏思惟像をはじめとする京都でも有数の多くの古仏を伝える寺。京都の人には「太秦のお太子さん」として親しまれている。
 603(推古天皇11)年、秦氏*の長、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から与えられた仏像を本尊に、秦氏の氏寺として建立した京都最古の寺で、古くは蜂岡寺・秦公(はたのきみ)寺と呼ばれた。1165(永万元)年に再建された講堂を除いて楼門、太秦殿、上宮王院などは江戸時代の建立。聖徳太子が楓野別宮をおこしたところと伝える桂宮院(けいきゅういん)*は通常非公開。奇祭といわれる牛祭り*は現在休止中。
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みどころ

楼門(仁王門)から境内に入ると、左手に薬師堂、その北に地蔵堂(腹帯地蔵)があり、庶民の信仰を集める。楼門から右手には、朱塗りのため赤堂(あかどう)の別称をもつ講堂*があり、安置の阿弥陀如来坐像などは堂外から拝観する。講堂の北に太秦殿があり、その北に本堂の上宮王院太子殿が立つ。数々の寺宝を収蔵する新霊宝殿*はさらにその奥にある。
 広隆寺のやや東には、明治の神仏分離まで桂宮院境内に鎮座していた大酒(おおさけ)神社*がある。
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補足情報

*秦氏:漢氏とともに古代の有力な渡来氏族。秦の始皇帝の末裔という伝説もあるが、朝鮮新羅の出身である。深草から葛野にかけて居住し、養蚕・機織り・農耕・酒造・治水・交易などにすぐれ、豊かな経済力を背景に平安京の開発に力を尽くした。広隆寺のほか松尾大社・伏見大社の創建に関係したと考えられる。
*桂宮院本堂:国宝。単層の八角円堂で、檜皮葺の美しい屋根をもち、清楚な住宅風の趣がある。現在非公開。
*牛祭り:京都三奇祭の一つ。五穀豊穣・悪魔退散を祈願する祭りで、摩吨羅神(まだらしん)が赤鬼や青鬼の四天王をお供に、牛に乗って境内を一巡する。10月の夜に行われてきたが、現在休止中。
*講堂:重要文化財。広隆寺にある最古の建物で、1165(永万元)年に金堂として建立。平安時代後期、ないしは室町時代の手法が見られる。須弥壇に説法印の国宝阿弥陀如来坐像、左右に地蔵菩薩坐像・虚空蔵菩薩坐像を安置する。いずれも弘仁時代の秀作。
*新霊宝殿:国宝第1号となった宝冠弥勒菩薩半跏思惟像は赤松の一木造、高さ124cm。右脚を左膝にのせ、右手の指を頬に近づけて思索にふける半跏思惟像で、切れ長の目、すーっと通った鼻筋、繊細な指、かすかに微笑んだ表情が美しい。ここにはもう一体の国宝宝髻(ほうけい)弥勒菩薩半跏思惟像がある。泣いているような表情のため泣き弥勒と呼ばれる楠の一木造、漆箔が施された高さ90cmの小像。十二神将像、高さ3mを超える不空羂索観音立像、2m半ばの千手観音立像も国宝。
*大酒神社:祭神として秦の始皇帝・弓月君・秦酒公(はたのさけのきみ)を祀る。秦氏の祖、功満王(こうまんおう)が祖先を祀ったのが始まりとされるが、一説には秦氏渡来以前からの大避(おおさけ)神社で、農耕神または除障の神であったともいう。牛祭りはこの神社と広隆寺の祭礼。
関連リンク 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト)
参考文献 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 上」山川出版社
「広隆寺略記」広隆寺

2025年05月現在

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