あだし野念仏寺
JR山陰本線(嵯峨野線)嵯峨嵐山駅から徒歩約30分。小倉山の麓のこのあたりはかつて化野*(あだしの)と呼ばれ、東の鳥辺野、北の蓮台野と並ぶ平安京の葬送の地であった。寺伝によれば、約1,200年前に弘法大師が、この地に葬られた多数の死者を弔うために五智山如来寺を創建し、のち法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称するようになったという。境内には無縁仏と化した無数の石仏・石塔がひしめき、賽の河原さながらの無常観を漂わせる。湛慶作と伝える阿弥陀如来坐像を祀る本堂は、江戸時代の1712(正徳2)年の再建。参道に祀られている二尊石仏は鎌倉時代の作で、向かって右が阿弥陀如来、左が釈迦如来。

みどころ
約8,000あるといわれる境内の石仏・石塔は、かつて化野に葬られた人々の墓。一帯に散乱埋没していたものを明治時代中期に集め、浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえて安置し、「西院の河原」と名付けた。8月23・24日夜の千灯供養*には多くの参詣者が集まる。
あだし野念仏寺の門前の愛宕街道に沿う嵯峨鳥居本の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。また寺から愛宕街道を北へ10分ほど進んだところには、1,200体の石造羅漢像が所狭しと並ぶ愛宕念仏寺がある。
あだし野念仏寺の門前の愛宕街道に沿う嵯峨鳥居本の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。また寺から愛宕街道を北へ10分ほど進んだところには、1,200体の石造羅漢像が所狭しと並ぶ愛宕念仏寺がある。

補足情報
*化野:古語「あだし(徒し)」は、「はかない、悲しみ」という意味があり、「あだしなる野辺」が「あだしの(化野)」になったといわれる。
*千灯供養:無縁仏の霊を慰めるために、参拝者が約8,000の石仏・石塔に燈明を供えるもので、幻想的な光景が広がる。
*千灯供養:無縁仏の霊を慰めるために、参拝者が約8,000の石仏・石塔に燈明を供えるもので、幻想的な光景が広がる。
関連リンク | あだし野念仏寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
あだし野念仏寺(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 上」山川出版社 |
2025年05月現在
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