詩仙堂丈山寺しせんどうじょうざんじ

叡山電鉄叡山本線一乗寺駅から徒歩15分。江戸時代初期の文人・石川丈山*が1641(寛永18)年に造営し、31年間隠棲した山荘跡。現在は詩仙堂丈山寺という曹洞宗の寺院となっている。詩仙堂は、正しくは凹凸窠(おうとつか)という。斜面のでこぼこの地に建てられた住居という意味で、丈山は凹凸窠と名づけた。詩仙堂とよばれるのは、堂内の中心である「詩仙の間」に由来。部屋の四方の壁には、狩野探幽が描いた中国の詩人36人の肖像画があり、それぞれの頭上には丈山による漢詩が記されている。
 入口の小さな門「小有洞(しょうゆうどう)」、中門の「老梅関」をくぐると、創建当時の姿をそのままに伝える詩仙堂の建物がある。嘯月楼(しょうげつろう)という小楼を備え、「詩仙の間」を中心に猟芸巣(りょうげいそう)・躍淵軒(やくえんけん)などの各部屋があり、前面には庭園*が広がっている。
 毎年5月23日に「丈山忌」が営まれ、5月25~27日には「丈山翁遺宝展」を開催。丈山遺愛の硯や書など貴重な資料が公開される。
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みどころ

詩仙堂は、寺名から文学的印象をあたえ、石川丈山の作り上げた庭園も人気がある。5月下旬のサツキ、11月下旬の紅葉がすばらしい。
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補足情報

*石川丈山:1583~1672年。徳川家康の家臣であったが、大坂夏の陣で先陣争いの軍律違反から蟄居となり、武士をやめて妙心寺に入り、丈山と号した。藤原惺窩に朱子学を学び、林羅山とも交友があった。最初、相国寺近くに睡竹堂と名付けた庵を営み、4年後の1641(寛永18)年に当地に移った。
*庭園:白砂にサツキの刈込を配した唐様庭園である。紅葉もすばらしい。小川が流れ、快い音を響かせる添水(そうず)、別名「鹿(しし)おどし」があることでも知られている。
関連リンク 詩仙堂丈山寺(WEBサイト)
参考文献 詩仙堂丈山寺(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 中」山川出版社

2025年05月現在

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