青蓮院門跡
地下鉄東西線東山駅から徒歩5分。駅を出て三条通を東へ行き、神宮道の交差点を南に進むと、大きなクスノキが見えてくる。皇室とのゆかりが深い雅な名刹・青蓮院門跡の目印である。寺は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くから知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられている。最澄が比叡山延暦寺を創建した際に建てた僧侶の住坊の一つ「青蓮坊」を、平安時代末期に青蓮坊の第十二代・行玄大僧正が院の御所に準じて京都に殿舎を造営し、「青蓮院」と称したことに始まる。鎌倉時代初期の天台座主で『愚管抄』の著者としても知られる、第3代門主・慈円(藤原兼実の弟)の時代に最も栄えたとされる。伏見天皇の第六皇子である17代門主・尊円法親王は、名筆家として名を馳せ、江戸時代に普及した「御家流」または「青蓮院流」とよばれた書体の源流をなした。
1788(天明8)年の御所炎上の際には、後桜町上皇の仮御所となったので、「青蓮院旧仮御所」として史跡に指定されている。また、付近の地名から「粟田御所」と呼び親しまれている。境内には、皇族や摂関家が代々門主を務めてきた門跡寺院ならではの典雅なムードが漂い、東福門院の御所を移築した宸殿*をはじめ、小御所、華頂殿などが美しい緑のなかに佇む。小御所の東に広がる池泉回遊式庭園は、室町時代の相阿弥の作と伝えられ、華頂殿の東には、江戸時代の小堀遠州作と伝えられる霧島の庭がある。
1788(天明8)年の御所炎上の際には、後桜町上皇の仮御所となったので、「青蓮院旧仮御所」として史跡に指定されている。また、付近の地名から「粟田御所」と呼び親しまれている。境内には、皇族や摂関家が代々門主を務めてきた門跡寺院ならではの典雅なムードが漂い、東福門院の御所を移築した宸殿*をはじめ、小御所、華頂殿などが美しい緑のなかに佇む。小御所の東に広がる池泉回遊式庭園は、室町時代の相阿弥の作と伝えられ、華頂殿の東には、江戸時代の小堀遠州作と伝えられる霧島の庭がある。

みどころ
拝観入口の手前に建つ長屋門の前で、大枝を伸ばしたクスノキの巨木が出迎える。樹齢約800年といわれるクスノキの巨木は境内に5本あり、いずれも京都市の天然記念物に指定されている。川端康成は『古都』で、「千重子たち三人は、その楠の前に立って、・・・じいっと、ながめていると、大楠の枝の、ふしぎな曲り方に、のびひろがり、そして、まじわった姿には、なにか不気味な力がこもっているようでもある。」と、青蓮院門跡のクスノキに接したときの感動を表わしている。
クスノキとともに庭園の美しさがあげられる。小御所から華頂殿に広がる池泉回遊式の庭は、室町時代の相阿弥*の意匠と伝える。池を中心とした庭で、石組と柔らかな曲線の築山が巧みに生かされている。すぐ北に続く華頂殿の東は、キリシマツツジがみごとな霧島の庭といい、小堀遠州の作と伝える。二つの庭の中間、好文亭前に大森有斐作の苔庭が広がる。
2005年には客殿である華頂殿に、”ロックな壁画絵師”として活躍する木村英輝氏が奉納した、60面にもおよぶ鮮やかな青い蓮の襖絵が飾られ、フォトジェニックスポットとして人気となっている。
また、青蓮院門跡の飛び地境内である将軍塚青龍殿には、通称青不動と呼ばれる国宝の絹本著色不動明王二童子像*が祀られているので(通常拝観できるのは復元模写)、こちらもぜひ訪れてほしい。山の上にある将軍塚青龍殿には600畳分もの広さの木造の舞台があり、京都市街を見渡せる。
クスノキとともに庭園の美しさがあげられる。小御所から華頂殿に広がる池泉回遊式の庭は、室町時代の相阿弥*の意匠と伝える。池を中心とした庭で、石組と柔らかな曲線の築山が巧みに生かされている。すぐ北に続く華頂殿の東は、キリシマツツジがみごとな霧島の庭といい、小堀遠州の作と伝える。二つの庭の中間、好文亭前に大森有斐作の苔庭が広がる。
2005年には客殿である華頂殿に、”ロックな壁画絵師”として活躍する木村英輝氏が奉納した、60面にもおよぶ鮮やかな青い蓮の襖絵が飾られ、フォトジェニックスポットとして人気となっている。
また、青蓮院門跡の飛び地境内である将軍塚青龍殿には、通称青不動と呼ばれる国宝の絹本著色不動明王二童子像*が祀られているので(通常拝観できるのは復元模写)、こちらもぜひ訪れてほしい。山の上にある将軍塚青龍殿には600畳分もの広さの木造の舞台があり、京都市街を見渡せる。

補足情報
*宸殿:門跡寺院特有のもの。主要な法要を行う。重要文化財の障壁画・濱松園は、住吉具慶または狩野壽石作と伝えられる。流麗なリズムに乗った松の群像が、金地に緑青で描かれている。親鸞聖人が第三代門主慈円により得度した場所であることから「お得度の間」とも呼ばれる。
*相阿弥:?~1525 室町時代の絵師で室町幕府将軍に侍る同朋衆となり、茶道具の管理、鑑定を行ない、書院飾りの法式を完成させた。著書に「御飾記」がある。
*絹本著色不動明王二童子像:藤原時代の作。青不動といわれる仏画で、日本三不動の一つ。群青色の不動明王を中央に、2童子を配した三角形の構図で、鮮やかな彩色と柔軟な筆致で描かれている。日本三不動とは、青蓮院門跡の青不動、園城寺(三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動をいう。
*相阿弥:?~1525 室町時代の絵師で室町幕府将軍に侍る同朋衆となり、茶道具の管理、鑑定を行ない、書院飾りの法式を完成させた。著書に「御飾記」がある。
*絹本著色不動明王二童子像:藤原時代の作。青不動といわれる仏画で、日本三不動の一つ。群青色の不動明王を中央に、2童子を配した三角形の構図で、鮮やかな彩色と柔軟な筆致で描かれている。日本三不動とは、青蓮院門跡の青不動、園城寺(三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動をいう。
関連リンク | 青蓮院門跡(WEBサイト) |
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参考文献 |
青蓮院門跡(WEBサイト) 「古都」川端康成 1962 新潮社 |
2025年05月現在
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