圓通寺えんつうじ

叡山電鉄京都精華大前駅から徒歩25分、地下鉄北山駅からは徒歩30分。閑寂な地に佇む臨済宗妙心寺派の寺院。境内には本堂・客殿・庫裏などが建ち、比叡山を借景にした庭園*で知られる。ここは後水尾上皇*が造営した幡枝(はたえだ)離宮だったところで、1672(寛文12)年上皇の離宮、修学院の完成とともに近衛家に下賜された。1678(延宝6)年、霊元天皇の乳母圓光院文英尼(ぶんえいに)を開基、妙心寺第10世の景川宗隆(けいせんそうりゅう)を勧請開山として寺に改められ、1680(延宝8)年、霊元天皇の勅願所となった。
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みどころ

枯山水庭園というと白砂と石の組み合わせが大半を占めるが、圓通寺はもともと江戸時代初期に後水尾上皇が造営された離宮・小御所であり、皇族の庭は苔が主流であったので、圓通寺全体が苔庭となっている。庭の石組みは大海から島々を表し、3分の2ほどが埋め込まれ、横石として用いられることにより高さがおさえられ、自然と比叡山の方に目が向く構成となっている。
 生垣は50種類あまりの常緑樹の混ぜ垣である。混ぜ垣にすることにより、主張し過ぎず、周囲の景色との調和が図られている。
 現在本堂となっている御幸御殿は仙洞御所の一部が移築されたもので、柱の間隔が一定ではなく、縁側と柱と軒先で囲われた景色が額縁の一幅の絵のようであると称される。
 禅宗の庭というよりも皇族の庭のような空間の風情が味わえ、四季折々の情景が楽しめる枯山水平庭式借景庭園として他に類を見ない。借景庭園としては日本を代表する庭であると、外国の建築家にも称賛される。
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補足情報

*庭園〔名勝〕:御幸御殿造営当時に作庭されたものと伝えられる。約1,320m2の長方形の平坦地に造られ、一面に青苔がおおう枯山水庭園である。庭の北隅に、数個の石組があり、そこから40個あまりの石が直線上に並んでいる。周囲はツツジ・サザンカなどの低い刈込みの生垣である。生垣のかなたには杉や檜の木立を通して比叡山が眺められる。書院に座して見るその雄峰は、奥深さを感じさせ、借景庭園の典型と称賛される。庭園は、御水尾上皇自らが、比叡山の眺望にもっともすぐれた地を求めて、山荘を営み、作庭を指導したという。
*後水尾上皇:1596~1680年。第108代天皇。禁中並公家諸法度を制定。学問・詩歌に関心が深く、書にも優れていた。陵は泉涌寺月輪陵。
関連リンク 圓通寺(WEBサイト)
参考文献 圓通寺(WEBサイト)

2025年05月現在

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