平等院びょうどういん

JR奈良線宇治駅から徒歩10分。宇治川の左岸に位置する。朝日山を望む境内には鳳凰堂の名で知られる阿弥陀堂のほかに、鐘楼*・観音堂*・ミュージアム鳳翔館*などが立つ。1053(天喜元)年、藤原頼通*が建立した「鳳凰堂」の中央部にある「中堂」内には、平安期の名仏師・定朝*作の阿弥陀如来坐像*が安置される。堂内壁面には雲に乗って音楽を奏でる雲中供養菩薩像*がずらりと取り付けられ、扉や壁には大和絵風「九品来迎図」などの壁扉画*が描かれている。鳳凰堂という名は、中堂の左右に翼廊を付けた建物の形が翼を広げた鳳凰に似ているからとも、中堂の大屋根の両端に鳳凰をのせているところからともいわれる。東面して、中央の扉の内側格子の上部に円窓が設けてあるのは、庶民が外から阿字池を隔てて阿弥陀如来を拝むことができるように設計されたものである。堂前に平等院型といわれる石燈篭が立つ。鳳凰堂と阿字池を中心とした平等院庭園は、平安時代に完成した最古の浄土庭園として名勝・史跡の指定を受けている。なお絵画・彫刻・工芸など藤原文化の粋を集めた寺宝も多く、これらはミュージアム鳳翔館で見ることが出来る。
 平等院は平安時代の左大臣源融*の別荘の跡で、のちに藤原道長の別荘となり、道長の死後に子の頼通が受け継いだ。末法の世に入るといわれた1052(永承7)年*、頼通は寝殿を本堂に変え、大日如来を安置して寺に改めた。極楽浄土をこの世に現出しようと善美を尽くして、鳳凰堂・塔・五大堂・金堂・講堂など多くの堂塔伽藍が造営され、華やかさを極めたという。その後いくどか兵火に遭い、さらに1336(建武3)年楠木正成軍によって、鳳凰堂(阿弥陀堂)以外の大半の建物を焼失した。1902(明治35)年~1907(明治40)年にかけて、大規模な「明治修理」が行われた。平成に入っても、1990(平成2年)の庭園整備に始まり、2012(平成24)年からの「鳳凰堂平成の大修理」などを経て、創建当時の姿に近づく整備が行われた。
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みどころ

阿字池に影を落す鳳凰堂全体が浄土をみるように造られている。浄土庭園は、法成寺(現在なし)にも存在し、平等院において完成の域に達した後、これを範として全国に伝播した平安時代の代表的な庭園様式である。1990(平成2)年から行われた庭園遺構の発掘調査を経て、鳳凰堂をとりまく浄土庭園の創建当時の姿が明らかになった。平安時代の庭園は、こぶし大の礫が敷き詰められたおだやかな洲浜と浅い池が大きく広がり、宇治川の自然と一体化した開放的な空間であった。北岸と北翼廊の間には、反橋と平橋の二橋が小島を介して架けられていた。これらの復元によって、鳳凰堂の建築、庭園、周囲の自然環境が渾然一体となり、当時の貴族たちが希求した極楽浄土の光景が表現されている。
 「仏殿は鳳凰を象り・・・本尊阿弥陀仏は長六尺の坐像にして定朝の作なり。堂内の長押に二十五菩薩の像あり。同四壁竝びに三方の唐戸に浄土九品の相を画く。・・・天蓋・瓔珞等は・・・」と、名所図会の嚆矢となった、1780(安永9)年の『都名所図会』に紹介されているものすべてが、国宝になっているのは興味深い。
 境内にはソメイヨシノや枝垂桜などが植えられ、春には鳳凰堂の美しさを一層引き立てる。藤の名所としても知られ、秋の紅葉も美しい。拝観料を納めれば広い境内を自由に散策でき、ミュージアム鳳翔館にも入館できる。しかし鳳凰堂の中に入るには別料金が必要で、ガイド付きで詳しい説明を聞くことが出来る。
 1961(昭和26)年より、10円玉硬貨の表面に鳳凰堂が使用されている。
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補足情報

*鐘楼:梵鐘は平等院創建のころの作で高さ199cm。表面に飛天・唐獅子・唐草文様を秀麗に浮き彫りする。形の美しさから日本三名鐘の一つにあげられる。現在はミュージアム鳳翔館で拝観できる。
*観音堂:表門を入った左手、宇治川の堤に面する。寄棟造の簡素な建物ながら、鎌倉時代の建立で重要文化財に指定されている。非公開。北にある「扇の芝」は、扇形の芝生のことで、1180(治承4)年、源頼政*が平家打倒に失敗し自害した跡と伝え、この時に頼政が敷いた軍扇をかたどったともいう。かたわらに「扇の芝」の歌碑、「埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 哀れなりける」が立つ。
*源頼政:1105~1180 平安末期の武将。源三位頼政ともいう。平治の乱のときは源義朝に味方しなかったが、1180(治承4)年に以仁王を奉じて平氏打倒のため挙兵し、敗れ、宇治で自害。
*ミュージアム鳳翔館:従来の宝物館が2001年に平等院ミュージアム鳳翔館として新装なる。国宝の梵鐘、雲中供養菩薩像26躯、鳳凰一対をはじめ、重要文化財の十一面観音立像(もとは観音堂の本尊)など、貴重な文化遺産がすぐれた収蔵環境の下に展示される。
*藤原頼通:990~1074 平安中期の摂政・関白。父道長とともに藤原氏全盛期を築く。
*定朝:?~1057 平安後期の代表的な仏師で寄木造の完成者。その作風は定朝様式といわれ、後世の彫刻に影響を与えた。
*阿弥陀如来坐像:鳳凰堂の本尊で、仏師定朝*の確証のある唯一の遺作。高さは2.77mで寄木造、木像・漆箔。上品上生印を結び、蓮華八重座に座す。豊満慈愛に満ちた顔、透けるように薄く流麗な衣文、奏楽する天人を配した飛天光背を背負う秀作である。台座の反花(かえりばな)の宝相華文の浮彫や本像の上部にかけられた天蓋の木彫、透彫は金箔を張り螺鈿装飾を加えた華麗なものである。
*雲中供養菩薩像:長押の上の壁面に架かる浮き彫りの52躯の菩薩たちが、雲に乗って合掌したり、奏楽、舞踏したりして、本尊の阿弥陀如来を供養しながら、極楽浄土の楽しさを表現している。国宝52躯のうち、26躯が鳳凰堂内に、あとの26躯はミュージアム鳳翔館にある。
*壁扉画:鳳凰堂中堂内の壁や扉に観無量寿経*に基づく九品来迎図と日想観図が描かれ、大和絵の温雅な風光のなかに阿弥陀如来をはじめとする諸菩薩が来迎するという図案。極彩色であったが現在は大半が剥落している。14面が国宝の指定を受けており、鳳凰堂の内部拝観で精巧な復元模写を見ることが出来る。
*観無量寿経:浄土三部経の一つ。釈尊が韋提希夫人に極楽浄土の荘厳を説く。
*源融:822~895 嵯峨天皇の皇子。源氏の姓を受けて臣籍に下り、872(貞観14)年左大臣となる。
*永承7年:末法時代に入った年である。
関連リンク 平等院(WEBサイト)
参考文献 平等院(WEBサイト)
「平等院」宗教法人平等院

2025年05月現在

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