北山杉きたやますぎ

北山杉は京都市の北西部、北区中川を中心とする地域で産する杉である。一帯は北山杉の里と呼ばれ、中川・杉阪・真弓・小野・大森という5地域に分かれる。中川は京都駅からJRバスで約1時間。市街地を抜けたバスは国道162号(周山街道)を北上し、紅葉で有名な高雄を過ぎ、ほどなくして中川に着く。川岸まで山裾を延ばす山々に、青葉の帽子を被せ、まっすぐに立つ北山杉の整然とした林が続いている。地区内に2010(平成22)年にオープンした「北山杉の里総合センター」では北山丸太を展示し、北山杉にまつわる製品や小物を販売。研修・体験メニューも用意され、休憩コーナー、会議室などもある。
 北山丸太の歴史は古く、応永年間(1394~1428)に始まるといわれており、京都御所への産物献上によって広まり、室町時代茶の湯の流行に伴い、茶室の用材として盛んに使われた。江戸時代から明治時代にかけても茶室や数寄屋の材料として用いられ、さらに第二次世界大戦後に近代数寄屋建築が盛んになり北山杉の需要は増大していった。現在も磨き丸太の種類は、人工絞丸太、桁丸太、並丸太、垂木とあり、珍重されている。
 北山杉の特徴である、節がなく元口と末口の太さが同じで清純な玉肌のような感触を与えるためには、長い間人手をかける独特の栽培法が必要である。杉の一樹多幹の性質を利用し1本の台杉*に何本もの杉を群生させ(今は1本のものが多い)、鎌やナタでいくども枝打ちを行い、切り出す2年前になると、竹やプラスチック製の割り箸のようなものを幹にびっしりと針金で巻き付ける。2年間、すこし太るだけで、幹にでこぼこ模様ができる。その後伐採された杉は乾燥、水につけてふやかし、鎌で内皮をとり、また乾燥し、秋から冬にかけて菩提の滝の川砂で磨くという、面倒な作業を行ってようやく完成する。
 植林用の苗木はすべて挿し木によって育成され、木材となって切り出せるのに30~40年と、ふつうの木材が50~60年かかるのと比べると短くてすむ。
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みどころ

節のないまっすぐで太くなりすぎない床柱用の材を取るため、枝打ちを丹念に行っている。枝打ちにいちいち登り降りをせず、枝打ち技術者は、木から木へと飛び移りながら作業をする。この光景も見ものである。手入れのきちんとなされた杉が、急な斜面にまっすぐに整然と並び立つさまは美しい。また、北山杉の加工(磨き作業)、乾燥、保管の機能を持つ倉庫が集落の入り口に数多く立っている。川岸に連続するこの倉庫群の景観に圧倒される。
 川端康成の小説『古都』では、主人公の千恵子が「北山杉のまっすぐに、きれいに立っているのをながめると、うちは、心がすうっとする」という描写があり、中川の杉の里に至るまでの車窓からもそうした風景が目に飛び込んでくる。歌でも北山杉は唄われている。小林啓子「比叡おろし」での『風は琵琶湖に落ちてくる。北山杉を下に見て……』、ばんばひろぶみ「北山杉」での『……涙まじりの雪払い 北山杉を想い出します……』などと特徴ある姿が歌詞に登場している。
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補足情報

*台杉:地際から2m以上の高さの位置で多数の幹が株分かれし、それぞれの幹がまっすぐに育つ杉の生育法。1本の杉から効率よく材木を生産することが目的でこの形が編み出され、近年は形に風情があることから庭に取り入れられている。
関連リンク 京都北山杉の里総合センター(WEBサイト)
参考文献 京都北山杉の里総合センター(WEBサイト)
京都北山丸太生産協同組合(WEBサイト)
北山三村(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 上」山川出版社
「森林 日本文化としての」地人書館

2025年05月現在

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