金剛證寺こんごうしょうじ

朝熊山のほぼ山頂にあり、弘法大師空海ゆかりの古刹で、伊勢神宮の鬼門を守る寺として有名である。寺伝では6世紀後半、欽明時代、暁台上人によって創建されたという。825(天長2)年空海が登山し、堂塔を興して真言密教の根本道場としたが、1392(明徳3)年に東岳文昱(とうがくぶんりゅう)が真言宗から臨済宗へと改宗し、臨済宗南禅寺派の寺院として再興した。
 伊勢参宮が盛んになると神宮の奥ノ院といわれ、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」といわれて繁栄した。境内は広く、老樹の間に本堂・開山堂・明星堂(みょうじょうどう)などが立ち、本堂*前の池には朱の太鼓橋が架かる。奥ノ院への参道には伊勢国司北畠氏や九鬼(くき)氏などの供養碑が並び、無数の卒塔婆が林立する。奥ノ院からの眺めは雄大である。
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みどころ

朝熊岳金剛證寺は伊勢志摩スカイライン(有料道路)の山頂付近にあり、寺院参拝とともに山頂からの眺望が素晴らしい。天候によって富士山まで眺望することができる。
 御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩とともに天照大神をお祀りし神仏習合の思想を表している。なお、御本尊は伊勢神宮の式年遷宮の翌年、20年に1度開帳することとなっている。
宝物館では、木造雨宝童子立像*、銅造双鳳鑑*などが展示されている。
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補足情報

*本堂(摩尼殿(まにでん)):正面7間、側面6間。単層、柿葺(こけらぶき)、寄棟造の厚い屋根の軒は強い反(そり)をみせる。外部は朱塗で、蟇股や欄間の極彩色の彫刻は、1609(慶長14)年備前の池田輝政(いけだてるまさ)が再建した時代の特徴を伝えている。諸説があるが、堂内に祭る本尊虚空蔵菩薩は福島県柳津円蔵寺、茨城県村松虚空蔵堂の像とともに日本三虚空蔵の一つに数えられる。
*木造雨宝童子(もくぞううほうどうじ)立像:唐服を着た高さ102cmの天女形の像である。頭上に五輪塔を頂き、穏やかな表情の中に重厚さを示す一木造、彩色の藤原時代の優品である。五輪塔は大日如来の象徴であり、大日如来は天照大神の本地仏とされる。この像は空海が、天照大神16歳の姿を写したという。
*銅造双鳳鑑(どうづくりそうほうかがみ):径31cmの八稜鏡。鳳凰や宝相華の優美な文様をもつ藤原末期の唐式鏡である。