式年遷宮しきねんせんぐう

神宮の祭典は大きく分けて恒例祭と臨時祭、そして遷宮祭の3つに区別される。恒例祭は毎年定められた日に執行されるもので、特に三節祭(さんせつさい)と呼ばれる神嘗祭と6・12月の月次祭、さらに祈年祭・新嘗祭が重要である。臨時祭は皇室・国家の重大事にあたり、祈願や奉告のため恒例祭に準じて臨時の奉幣を行う祭儀をいう。遷宮以外の祭りはすべて外宮が先に行われる。
 そして、遷宮祭(せんぐうさい)であるが、式年遷宮と呼ばれ、20年ごとの定まった年(式年)に行われる。かつてはわが国における最も重要なおまつりとして「公の儀式」として国を挙げて行われてきた。両宮をはじめ別宮の正殿および御垣内の殿舎のすべてを隣にある御敷地に新造し、御神体を遷す。神宮の宝物である御装束神宝*もすべて造り替えられる。遷宮は20年の周期で大御神の神威を新たにし、一層の神徳を得ようとするものといわれる。天武天皇の発意によってはじめられ、第1回遷宮は持統天皇のとき、690(持統4)年に行われて以来約1300年にわたって続けられてきた世界的にも例のないおまつりである。中世に一時中断したものの、2013(平成25)年10月の遷宮まで62回を数えている。
 第62回遷宮は、9年の歳月をかけて33のお祭りと行事が行われた。御用材*伐採の安全を祈る山口祭(やまぐちさい)から始まり、御木曳行事(おきひきぎょうじ)、御白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)などを経て、式年遷宮の中核をなすおまつり、遷御の儀が行われた。
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みどころ

式年遷宮が20年に一度執り行われる理由は諸説あるが、一説には飯を乾した「糒(ほしい)」「乾飯(かれい)」の最長保存期間が20年間となっていたことから、遷宮の経済を支えた稲を基軸とする穀物の生産と備蓄の文化からきているのではないかといわれている。
 遷宮で新しい社殿*が完成した後、解体された古材は日本各地で「再利用」されることになる。例えば、宇治橋*の外と内には大鳥居が立っているが、内側の鳥居は内宮正殿の棟持柱(むなもちばしら)、外側の鳥居は外宮正殿の棟持柱が使われる。さらに20年たつと、内の鳥居は鈴鹿峠の麓の「関の追分」の鳥居、外の鳥居は桑名の「七里の渡」の鳥居となる。合わせて60年のつとめを果たし、そのあとも他の神社に譲られるなどリサイクルされる。その他の古材も全国の神宮とゆかりの深い神社に譲られていく。こうした「再生」の思想は現代でも学ぶべき点が多い。 
 なお、社殿に隣接して広いスペースがあるが、これは古殿地(こでんち)、もしくは新御敷地(しんみしきち)と呼び、次の式年遷宮で社殿が建てかえられる場所である。
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補足情報

*御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう):遷宮のたびに調えられる「御装束神宝」(神様の衣装や調度品)は千数百点に及ぶ。当代一流の名工によって製作される。
*御用材:神宮の森と呼ばれる「宮域林」(きゅういきりん)は、55km2。環境の保全、水源の涵養など理想の森づくりを進めている。また1923(大正12)年から将来の遷宮に備えて御用材の檜の育成計画が進められている。
*社殿:「唯一神明造」(ゆいいつしんめいづくり)という神宮独特の建築様式。お米を納める倉を起源とし、礎石のない掘立柱と萱の屋根を特徴とする古代の建築様式である。
*宇治橋:内宮の宇治橋は式年遷宮の四年前にかけ替えられる。なお、宇治橋とその鳥居は、神宮が作ったものではなく、元来、寄進されたものである。そのため、宇治橋の鳥居は一の鳥居、二の鳥居とは数えない。
関連リンク 神宮 ISEJINGU(神宮司庁)(WEBサイト)
参考文献 神宮 ISEJINGU(神宮司庁)(WEBサイト)
伊勢神宮崇敬会(WEBサイト)
「第六十二回神宮式年遷宮」神宮司庁神宮式年造営庁パンフレット
「伊勢神宮ひとり歩き」中野晴生/中村葉子 ポプラ社
「伊勢神宮のこころ、式年遷宮の意味」小堀邦夫 淡交社

2024年08月現在

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