海の博物館うみのはくぶつかん

JR・近鉄「鳥羽駅」よりバスで約40分。海の博物館は、三重県沿岸で失われゆく漁村資料を収集する目的で、1971(昭和46)年に鳥羽市に開館し、1992(平成4)年に現在地である志摩芸術村*の敷地内に新築移転したものである。「海と人」をテーマに、海女道具や船大工道具、網・釣り針などの漁撈用具、漁村の生活用具など海に関する約6万3千点(内6879点が国指定重要有形民俗文化財)の民俗資料を所蔵し、展示している。また、全国各地から集められた90隻近い木造船は、他ではみることができない貴重な資料となっている。このほか、約12万点の写真資料を保有している。
 内藤廣による建築もみどころの一つである。展示棟は二棟あり収蔵庫一棟(船の棟)が公開されている。テーマは、(1)海民の伝統 〜日本列島人は海の民〜(2)海民の信仰と祭り 〜神様もご先祖様も海の彼方〜(3)海の汚染 〜SOS海みんなで守ろう〜(4)鳥羽で神様の食文化にふれる(5)伊勢湾の漁 〜そこは豊かな漁場だった〜(6)志摩半島・熊野灘の漁 〜魚と漁師の知恵くらべ〜(7)鳥羽・志摩の海女 〜もぐりつづけて1万年~(8)木造船と航海 〜消えていく木造船の技術〜、となっている。
 2017(平成29)年から鳥羽市に移管され「鳥羽市立海の博物館」となっており、管理運営は指定管理者である(公財)東海水産科学協会が行っている。
 また2018(平成30)年には三重大学による伊勢志摩の活動の拠点として鳥羽市立海の博物館内に「三重大学海女研究センター」が設置されている。
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みどころ

設計は、大学名誉教授・ 内藤廣氏による。この施設は日本建築学会賞をはじめ数々の賞を受賞している。特に外装材には極力金属を使わず、塩害や強風などの自然環境に配慮して全ての建物の屋根は瓦葺きとなっている。南鳥羽周辺地域の漁村風景に溶け込んだ意匠として高く評価されている。
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補足情報

*志摩芸術村:もともとの構想は1972(昭和47)年に始まる志摩芸術村構想の一環として構想されたものである。1988(昭和63)年、総合保養地域整備法に基づく三重県の「三重サンベルトゾーン構想」が承認を受け、志摩芸術村構想は、鳥羽地区の中核的なゾーンとして位置づけられた。面積0.736㎢にビーチゾーン、タラソテラピーゾーン、芸術村の3つの区域を設定し、滞在型のリゾートを整備する構想の中に位置づけられていた。しかしながら、バブル崩壊とともに構想は中断。当時(公財)東海水産科学協会が独自に土地を購入して新築された海の博物館のみが営業し、現在鳥羽市に移管され、鳥羽市立海の博物館として営業を続けている。