木曽川・中流きそがわ・ちゅうりゅう

木曽川は、長野県南西部にある標高2,446mの鉢盛山に源を発し、長野・岐阜・愛知・三重の四県を貫いて伊勢湾に注ぐ。全長229kmの全国7位の長流である。
 上流部の長野県から流れ出た木曽川は、岐阜県に入ってからも、両岸に山が迫る峡谷美を展開するが、美濃加茂市で飛騨川と合流すると、川幅はぐんと広くなり、水量も豊富でとうとうと流れる。美濃加茂市から犬山市にかけての流域と流れは日本ライン*と呼ばれ、かつては早瀬を乗り越え、奇岩を目の当たりにしながら、船頭の竿一つで船下りの醍醐味を味わうことができた。
 近年、観光客の伸び悩みから、日本ライン下りの観光船は廃止された。現在は、犬山城周辺を巡る遊覧船が運航している。
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みどころ

日本ラインは、志賀重昂(しがしげたか)*がドイツのライン川の船下りを想起して命名したといわれる。遊覧船からは、志賀が目にしたものと同じ四季折々の自然や奇岩、そして国宝犬山城天守を眺めることができる。犬山市の木曽川沿岸や対岸の岐阜県側からも、犬山城と木曽川が一体となった眺めを楽しむことができる。
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補足情報

*日本ライン:愛称の「日本ライン」は、志賀重昂が、1913(大正2)年に手紙の中で「木曽川川岸、犬山は全くラインの風景其儘なり」と表現したことが契機となった(林泰正)。中の島乗船センター(美濃加茂市)から犬山橋(犬山市)までの約13kmは、急流で奇岩・怪石がつづく優れた景勝地で、この区間を日本ラインと呼んだ。昭和に入ると、中流部の各川湊の船頭組合によって、日本ラインという呼称が積極的に利用され、1928(昭和3)年頃から1965(昭和40)年頃まで、すべての観光パンフレットで、観光遊覧船の運行区間である木曽川中流部を指す言葉として、日本ラインの呼称は用いられた。観光遊覧船は、観光客の減少により、2002(平成14)年12月に運休し、別会社が2003(平成15)年7月に再開したが、利用者数の回復が望めないため、2013(平成25)年度から運休した。
*志賀重昂(しがしげたか):愛知県岡崎市出身、明治時代にベストセラーとなった『日本風景論』において、静的な日本三景的風景を否定し、登山対象になるような、けわしく迫力のある山岳観などを提唱して、当時の日本人の風景観を一変させた。
関連リンク 犬山市(WEBサイト)
参考文献 犬山市(WEBサイト)
日本ライン・KISOGAWA River to Summit2022(木曽川中流域観光振興協議会)(WEBサイト)
国土交通省中部地方整備局 木曽川上流河川事務所(WEBサイト)
木曽川鵜飼遊覧 木曽川観光株式会社(WEBサイト)
『近現代木曽川中流部における舟運の変容と川湊の土地所有の変化』林泰正 人文地理第71巻第1号(2019)29-51.

2024年05月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。