三河国分寺跡・国分尼寺跡みかわこくぶんじあと・こくぶんにじあと

南西を名鉄名古屋本線の国府駅と八幡駅に、北東を東名国速道に囲まれた一帯に、三河の総社・国府・国分寺跡・国分尼寺跡が集まることから、この地が、三河の国の中心であったことがわかる。
 1985~1988(昭和60~昭和63)年度と2007~2009(平成19~平成21)年度の確認調査で、国分寺は、東西・南北各180mの広い寺域に築地塀を張り巡らし、南大門・中門・金堂・講堂を南北一直線に並べ、中門と金堂をつないで回廊がめぐる寺院であることがわかった。さらに本堂から50mほど西の雑木林の中には、塔の礎石があり、塔の大きさが確認された。国分寺の大伽藍は平安末期に焼失し、廃寺同然となった。現在の国分寺は、1506(永正3)年、西明寺の機外和尚が再興し末寺としたもの。鐘楼にある銅鐘(国の重文)は平安時代の作とされる。
 国分寺から北東へ5分のところに国分尼寺がある。かつての寺域は150m四方の広さがあり、金堂は、奈良の唐招提寺と同じ大きさで、全国の国分尼寺のなかでも最大級の規模を誇っていた。伽藍配置は南から北へ南大門・中門・金堂が一直線に並び、中門から講堂に複廊がめぐらされていた。幅の広い大規模な複廊は注目に値する。寺域は三河国分尼寺跡史跡公園として整備され、朱色の柱が美しい中門と複式回廊が復元されている。国分尼寺の向かいには三河天平の里資料館*がある。
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みどころ

全国各地に国分寺と国分尼寺があるが、ここほど両者が近くにあるのも珍しい。国分尼寺の中門と回廊の柱が朱色で美しい。国分尼寺の金堂は、日本各地にある国分尼寺のなかでも最大級の大きさである。国分寺跡についても、発掘調査の結果をもとに史跡の整備を進めていく予定である。
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補足情報

*三河天平の里資料館:館内で展示や映像によって古代三河国の概要を解説しているほか、最新の発掘調査に関する情報を発信している。そのほかに、歴史講座や体験教室を開催して、郷土の歴史などを学習する施設になっている。
関連リンク 豊川市(WEBサイト)
参考文献 豊川市(WEBサイト)
文化財ナビ愛知(愛知県)(WEBサイト)
『愛知県の歴史散歩 下』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社
『三河国分寺跡案内』パンフレット 豊川市

2024年06月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。