有松の町並みありまつのまちなみ

名鉄名古屋本線有松駅の西側に絞り染めで名高い有松の町並みがある。有松宿は、1608(慶長13)年、東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に尾張藩によって開かれた。しかし、宿場でなく、休憩用で宿泊が禁じられた間の宿であった。1613(慶長18)年に、一説に有松しぼりの開祖*といわれる竹田庄九郎ら8人が移住して、1615(元和元)年から1625(寛永2)年にかけてさらに17戸の移住があり、有松の誕生となった。江戸時代を通じて街道の旅人に絞り染めを売る絞り業者の町として発展してきた。尾張藩も有松に手厚い保護を与えた。1784(天明4)年の大火によって町のほとんどが焼失したが、復興にあたって多くの家が瓦葺・塗籠造りの防火構造にし、現在の町並みが形成された。往時を伝える江戸末期の土蔵造の町屋が残る7.3万m2の地区が、2016(平成28)年に伝統的建造物群保存地区に指定された。東西約800m、幅5mほどのゆるやかに曲がった東海道に沿って、広い間口を持つ絞商の主屋や門・塀が数多くみられ、比較的ゆったりとした町並みが継承されている。しぼりの工程や製品は有松鳴海絞会館で見学できる。
 有松鳴海絞りは、有松絞商工協同組合のほか、鳴海絞商工協同組合・愛知県絞工業組合が地域全体の取り組みを統括し、ブランド戦略やグローバル市場の開拓など、地場産業の活性化に取り組んでいる。
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みどころ

尾張藩によってつくられた休憩用の間の宿が、絞り染めで発展した。江戸時代、旅人が、手拭いや浴衣などを買い求め、北斎や広重の浮世絵に描かれるほどの街道一の名産品となった。伝統の絞り技法は100種にもおよび、有松・鳴海絞りは日本の絞り生産地のうち、90%以上も占めている。400年の創意、工夫が最高の技術で受け継がれている。
 このすぐれた絞りを、有松・鳴海絞会館で見よう。ここで買い物もできるし、有松絞りの体験もできる。
 現在、絹物の打ち掛け、振り袖、木綿のゆかたなどのほか、洋服地、ネクタイ、ショールと生産品種は多い。
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補足情報

*有松しぼりの開祖:竹田庄九郎が開祖といわれているが、明らかではない。医師三浦玄忠の妻女が豊後で修めた絞り染めを教えたという説、三浦医師自身が、鳴海で病のため寝込み、看護の例として直接絞り染を伝授したという説、豊後の大名行列が鳴海宿で宿泊した際、豊後絞りの持ち物や装束をみて、有松の者が教えを乞うたという説など、さまざまである。
関連リンク 名古屋市(WEBサイト)
参考文献 名古屋市(WEBサイト)
愛知県の公式観光ガイドAichiNow(WEBサイト)
有松のまち(有松まちづくりの会)(WEBサイト)
『愛知県の歴史散歩 上』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社
『有松・鳴海 絞り』有松絞り商工協同組合

2024年06月現在

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