大須観音(寶生院)おおすかんのん(ほうしょういん)

地下鉄舞鶴線大須観音駅で降り、50mほど南へ行くと、左側にあざやかに朱塗りの堂々たる建物が見える。これが俗に「大須の観音さん」と親しまれ、東京の「浅草の観音さま」にあたる寺である。大須観音は正式には、北野山真福寺寶生院という。
 建久年間(1190~1199年)に創建された中島観音堂が始まりで、その後、1333(元弘3)年頃、開山能信上人が尾張国大須郷(現在は岐阜県羽島市)に1寺を建立して真福寺と称した。南北朝時代、真福寺には8坊の塔頭があり、歴代住職が住む寶生坊は1371(応安4)年に寶生院に昇格した。その後いくたの変遷があり、とりわけ木曽川の洪水の難が絶えなかったため、1612(慶長17)年、徳川家康によって、真福寺寶生院のみ、現在地に移された。
 江戸時代、寺は尾張藩主の崇敬を受け、文庫*も藩により保護されてきた。本堂などは明治中期に隣家からの火災で類焼し、第二次世界大戦では再度炎上したが、文庫は難を免れた。
 1970(昭和45)年に両翼楼をもつ重層の本堂、1984(昭和59)年に仁王門が相次いで再建され、朱塗柱の鮮やかな堂々とした構えを見せ、名古屋における庶民信仰の中心の一つとして復活した。大須観音と万松寺との間には、東西・南北に8つの商店街があり、いつも賑やかである。東海地区で唯一の寄席のある大須演芸場*は大須観音から5分足らずにある。
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みどころ

名古屋の寺院で市民にもっとも親しまれている寺で、万松寺から大須観音への街筋は、東京の浅草仲見世とよく似た雰囲気を持っている。東西に、仁王門通と東仁王門通、並行して大須観音通と万松寺通、もう1本北に赤門通がある。南北には、本町通と裏門前町大通が結び、一番東に新天地通の商店街がある。それぞれに飲食店、古着屋、家電店など、多くの業種の店が連ねていて、いつ行ってもにぎやかで楽しい商店街である。
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補足情報

*文庫:大須文庫(真福寺文庫)。大須文庫は日本最古の古事記写本(1371~2年に賢瑜が写したもので、上・中・下の3巻から成り、国宝に指定されている)をはじめ和漢の古書1万5,000冊を収蔵し、わが国でも特に貴重な寺院文庫として有名である。
*大須演芸場:落語や曲芸・奇術などの色物を毎日上演する、東海地区唯一の常設の寄席。前身は大正期から同地にあった演劇と映画の中規模劇場だった港座。1947(昭和22)年に再開されてからはストリップや日本映画上映の劇場になったりしたが、1963(昭和38)年に閉館。1965(昭和40)年に落語とコントと漫才を上演する寄席としてオープンした。1975(昭和50)年以降、経営不振となったが若手芸人たちが「大須伝統の興行の灯を消すな」をスローガンに自主興行で支えてきた。ユニークな企画や定期券の発行などの活動に、古今亭志ん朝、ミヤコ蝶々など有名タレントの友情出演もあり、営業を持続してきた。2014(平成26)年にいったん閉鎖し、2015(平成27)年、一般社団法人大須演芸場を設立して演芸場を運営している。
関連リンク 大須観音(WEBサイト)
参考文献 大須観音(WEBサイト)
あいち観光ナビ(一般社団法人 愛知県観光協会)(WEBサイト)
『愛知県の歴史散歩 上』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社
『大須マップ』大須商店街連盟
大須商店街連盟(WEBサイト)

2024年06月現在

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