徳川美術館とくがわびじゅつかん

JR中央本線大曽根駅南口から徒歩10分。または地下鉄東山線栄駅で名城線に乗り換え大曽根駅下車徒歩15分。美しい庭園の徳川園*に隣接する。開館は1935(昭和10)年で、徳川家康の遺品である「駿府御分物(すんぷおわけもの)」を中核に、初代義直をはじめとする尾張徳川家歴代当主やその家族の遺愛品、いわゆる「大名道具」を収蔵、展示している。
 大名の生活と文化を紹介する「名品コレクション展示室」では、尾張徳川家の公的生活の場であった、名古屋城二之丸御殿の一部が原寸大で再現され、美術品とそれらが使われた空間の一体的な体系展示によって、当時の大名家の生活を知ることができる
 美術館の収蔵品は1万件あまりにのぼり、その中には「源氏物語絵巻」*をはじめとする国宝9件、重要文化財59件を含んでいる。明治維新や大戦を経て貴重な大名道具が散逸してしまった今日では、この広範囲にわたりまとまった収蔵品は近世大名文化の神髄を伝える貴重な資料として世界的にも知られている。
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みどころ

展示の数々の美術工芸品をとおして、近世大名の美意識に思いをめぐらせたり、格式ある生活ぶりをしのびたい。美術館で多数の美術工芸品を見て疲れたら、ゆっくりと徳川園の池泉回遊式庭園を散策し、美術館隣の蓬左文庫*を訪れることを勧める。
 徳川園では、5月下旬から6月にかけて、75品種、約1,800株の花しょうぶが菖蒲田で咲き誇る。同じころ、6月上旬には、「徳川園山車揃え」が開催される。東区筒井町と出来町のそれぞれで天王祭に曳行される山車が、徳川園で5両が揃い踏みし、その勇壮さとからくり人形の壮麗さを楽しむことができる。
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補足情報

*徳川園:2代尾張藩主徳川光友は、1693(元禄6)年に藩政を退くと、ここに下屋敷を造営して隠居所とした。当時の敷地は約44万m2(約13万坪)、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたといわれる。光友の没後、家老職の3家に譲られたが、1889(明治22)年に徳川家の邸宅となった。1931(昭和6)年に当主徳川義親(尾張徳川家19代・公爵)から名古屋市に寄贈され、翌年徳川園として一般公開された。しかし、第二次世界大戦の空襲で、黒門などの一部を除き、ほとんどの建物や樹林が焼失。戦後、都市公園として整備し利用されてきたが、2004(平成16)年、あらたに池泉回遊式庭園として改修され開園した。庭園は矢田川の河岸段丘をいかした高低差なる地形、既存の照葉樹の森、大きな岩組が特徴で、変化にとんだ景観を展開する構成になっている。
*国宝 源氏物語絵巻:3巻の巻子として伝来したが、保存の観点から近年の修復で15巻の巻子に仕立て直された。蓬生(よもぎう)・関屋(せきや)・絵合(えあわせ)・柏木(かしわぎ)・横笛(よこぶえ)・竹河(たけがわ)・橋姫(はしひめ)・早蕨(さわらび)・宿木(やどりぎ)・東屋(あずまや)の10帖、絵15面・詞28面が残る。平安時代末期、12世紀の作。現存する最古の物語絵巻にしてやまと絵の最高傑作と称され、わが国を代表する芸術作品として貴重である。
*蓬左文庫:「蓬左」とは、江戸時代に使用された名古屋の別称で、名古屋城は蓬左城とも呼ばれた。1616(元和2)年に徳川家康が没すると、収集されていた約1万冊の蔵書は、将軍家と尾張・紀伊・水戸の御三家に分配された。これが「駿河御譲本」とよばれるもので、尾張徳川家には約3,000冊がゆずられ、これを機に初代藩主徳川義直は、城内に御文庫を創設した。その後も、歴代藩主による収集が重ねられ、江戸時代を通じて、質量ともにわが国屈指の大名文庫となった。明治維新の混乱期に1/3が流出したが、残された蔵書は、蓬左文庫に保管されている。『続日本紀』など7点の重要文化財を始め、古絵図、古地図、江戸の文学書、浮世絵のコレクションなど、その数12万点を数える。
現在は名古屋市に移管。美術館と同じ敷地内に設置・公開されている。
関連リンク 徳川美術館(WEBサイト)
参考文献 徳川美術館(WEBサイト)
『徳川美術館、徳川園』パンフレット
徳川園(WEBサイト)
蓬左文庫(WEBサイト)
『日本の国宝081 愛知/徳川美術館』週刊朝日百科 1998年

2024年05月現在

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