尾張津島天王祭(津島祭)おわりつしまてんのうまつり(つしままつり)

天王まつりが行われる津島神社は、名鉄尾西線と津島線の起終点の津島駅からまっすぐ西、約1.2km、徒歩17分のところにある。かつては津島祇園会とされていた津島神社の7月第4土・日曜日に繰り広げられる夏季大祭である。明治以前は牛頭天王を、現在は、須佐之男命をまつる祭礼として600年近くも津島の人たちに親しまれてきた。
 宵祭と朝祭とがある。宵祭前夜に、児打廻(ちごうちまわし)*の祈願が行われる。宵祭は午後の6時から10時頃まで行われる。今市場など5村(現在の津島市と愛西市佐屋)が車河戸(くるまこうど)*で如意(にょい)とよばれる柱に1年12か月を表わす12個の提灯を灯して、太鼓を連打して祭りの開始を合図する。祭りに使う船は巻藁船(まきわらぶね)といい、2艘を結び合わせた双頭船で、それぞれの船の如意のまわりに、1年の日数を表わす365個(うるう年は366個)の提灯を半円形・山型に整える。8時45分の出舟の時間になると、提燈をつけた巻藁船が津島雅楽を奏でながら天王川に漕ぎ出す。この頃になると、織田信長や豊臣秀吉、代々の尾張藩主も興じた火と水の宵祭は最高潮に達する。午後9時30分、舟に乗った氏子が神社からお旅所に移されている神輿に参拝する。再び車河戸に戻り、午後10時すぎ、幻想的な祭りは終わる。
 翌朝の朝祭は、南朝遺臣の子孫である服部家を車宿にして、朝祭りのみ参加の、唐破風の屋根をしつらえた市江車を先頭に、高砂など能人形を飾った屋台をのせた6艘の車楽舟が奏楽を奏でながら天王川を漕ぎわたる。先頭の市江車から布鉾をもった10人の若者が御旅所にわたるため川に飛びこむと朝祭はクライマックスになる。神輿に参拝したのち、布鉾を神社へ奉納する。
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みどころ

暗い夜空、天王川に5艘の船が、12プラス365個の提灯を浮かばせながらゆったりと進むさまは幻想的で、何とも言えない美しさである。
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補足情報

*児打廻(ちごうちまわし):宵祭りの前夜、5つの津島車に、古式衣装を身につけ、花烏帽子を被った児4歳から6歳の男の子が、車屋を出発して車河戸に向かい、祭船で奏楽し、津島神社に着き、祭りの無事を祈願する。江戸時代は、拝殿の周りを杖で打ち鳴らしながら廻ることから、打廻しといった。
*車河戸(くるまこうど):祭河戸ともいわれ、天王川公園の東南に、入江のような池があり、小さな島がいくつかある。ここを通称車河戸と呼ぶ。
関連リンク 津島神社(WEBサイト)
参考文献 津島神社(WEBサイト)
津島市観光協会(WEBサイト)
津島市(WEBサイト)
『愛知県の歴史散歩 上』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社

2024年04月現在

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