津島神社
名鉄尾西線と津島線の起終点の津島駅からまっすぐ西、約1.2km、徒歩17分のところにある。東側鳥居の横に大イチョウがあり、その前に日本の和菓子のルーツといわれる「あかだ屋清七*」の店舗がある。
540(欽明天皇元)年の鎮座といわれ、古くは津島牛頭(ごず)天王*社と称し「津島の天王さん」として親しまれた。「お伊勢さんに詣って天王さんに詣らないのは片参り」、「東の津島、西の八坂(祇園社)」といわれた。約3,000の末社をもつ牛頭天王信仰の中心であり、全国から参詣者が訪れる。
織田・豊臣・徳川の三家から保護を受け、特に尾張藩は熱田・一宮と並び尾張三大社として厚く保護した。
7月第4土・日曜日に、華麗な尾張津島天王まつりが催される。
540(欽明天皇元)年の鎮座といわれ、古くは津島牛頭(ごず)天王*社と称し「津島の天王さん」として親しまれた。「お伊勢さんに詣って天王さんに詣らないのは片参り」、「東の津島、西の八坂(祇園社)」といわれた。約3,000の末社をもつ牛頭天王信仰の中心であり、全国から参詣者が訪れる。
織田・豊臣・徳川の三家から保護を受け、特に尾張藩は熱田・一宮と並び尾張三大社として厚く保護した。
7月第4土・日曜日に、華麗な尾張津島天王まつりが催される。

みどころ
朱塗りの鳥居をくぐり、アーチ形の石橋をすぎると、1591(天正19)~1592(天正20・文禄元)年に建立された大きな三間一戸で檜皮葺・入母屋造の楼門(東門)がある。楼門の西には檜皮葺・切妻造の拝殿があり、その奥に祭文殿と釣殿がある。本殿(重文)は清洲城主松平忠吉の妻の寄進による檜皮葺・三間社流造の桃山様式(棟札に、1605(慶長10)年造営とある)を伝え優美である。南門は、1598(慶長3)年に豊臣秀頼が、父秀吉の病気平癒を願って造営したもの。1959(昭和34)年の伊勢湾台風で倒壊したが、その後、復旧。県の天然記念物である大きなイチョウをはじめ、県内でも代表的な樹木が多く見られる。

補足情報
*あかだ屋:1840(天保11)年創業で「あかだ」と「くつわ」という菓子を製造販売している。「あかだ」は、津島神社に疫病の退散を祈願した弘法大師の供米のお下がりで作ったのがはじまりとされる。日本一硬い菓子といわれる。「くつわ」の輪は茅の輪をかたどっている。「くつわ」は馬のくつわに似ているところに由来する。天保年間(1830~1844年)に尾張藩主へ献上した記録がある。
*牛頭天王:もともとはインドの祇園精舎の守護神。素戔嗚尊と類似点が多いことから、平安末頃、両神が習合された。除疫神として、広く信仰を集めた。
*牛頭天王:もともとはインドの祇園精舎の守護神。素戔嗚尊と類似点が多いことから、平安末頃、両神が習合された。除疫神として、広く信仰を集めた。
関連リンク | 津島神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
津島神社(WEBサイト) 『愛知県の歴史散歩 上』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社 『愛知県西部の歴史都市 津島』溝口晃之 株式会社 古今書院 |
2024年04月現在
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