大樹寺だいじゅじ

名鉄東岡崎駅からバスで15分。「大樹」とは唐名で「将軍」を意味する。
 1475(文明7)年松平4代親忠が念仏堂を設けたのが始まりで、松平家・徳川家代々の菩提寺である。1535(天文4)年岡崎城主松平清康(徳川家康の祖父)により七堂伽藍・多宝塔が造営される。1603(慶長8)年、徳川家康*は征夷大将軍に任ぜられると、将軍先祖の菩提寺として寺内に松平8代の廟所を造り、寺格を高める。1606(慶長11)年には後陽成天皇から勅願所とされる。そののち3代将軍家光の時に、大方丈*・三門・総門・鐘楼が建立されるなど歴代の将軍により堂宇が整えられた。
 現在境内には、本堂・開山堂・多宝塔*・鐘楼・大方丈・三門・総門・裏門や松平8代廟所、家康の墓がある。歴代将軍のなかで、特に家康はゆかりが深い。本堂には家康の遺命「位牌は大樹寺に祀(まつ)るべきこと」により、位牌*と木像が安置されている。
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みどころ

3代将軍家光は大造営にあたり、本堂から山門、総門を通して岡崎城が眺められるように伽藍配置した。現在でも岡崎城と大樹寺を結ぶ3kmの直線は『ビスタライン』と称され、眺望景観保全地域として官民一体となり大切に保全されている。山門を通して望む岡崎城は絵画のように美しい。
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補足情報

*徳川家康:桶狭間の戦いで今川軍が破れ、敗走した家康が、この寺大樹寺で自害を果たそうとした折、住職・登誉上人が制したという、歴史的役割を果たした寺として有名。
*大方丈:大方丈の再建にあたり、京都から大和絵師冷泉(岡田)為恭が招かれて、大方丈に色彩豊かな障壁画を描いた。総数145面に及ぶ。
*多宝塔:美しく、格調の高さは東海地方随一といわれる。
*位牌:初代親氏以下松平氏8代と家康から14代までの位牌が安置されている。歴代将軍の位牌は本人の等身大とされ大きい。位牌堂および収蔵庫にてその他の文化財も公開されている(有料)。

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