伊賀八幡宮いがはちまんぐう

名鉄東岡崎駅の北方2.5kmに位置し、松平家・徳川家代々の祈願所であった。1470(文明2)年松平第4代親忠(ちかただ)*が、武運長久・子孫繁栄を祈願するため、社を伊賀(三重県)から三河国に勧請した。1566(永禄9)年、松平第9代にあたる家康が三河守に任じられた際に社殿を造営。家康は出陣の際には必ず祈願したと伝えられる。1611(慶長16)年に家康がさらに社殿を造営、1636(寛永13)年に、家光が岡崎城主本多忠利を奉行に任じて、増築の形で社殿を大々的に造営し、現在の社殿となった。
 朱色の大鳥居をくぐり参道を進み、伊賀川にかかる橋を渡って石段を下ると、正面に石鳥居と神橋がある。参道と社殿は北辰の軸に整えられる。神橋の東西はハス池。随神門*をくぐると、御供所・拝殿*・幣殿*・本殿*が姿を現す。いずれも檜皮葺、極彩色の豪華な造りで江戸初期の様式をのこし、国の重要文化財に指定されている。
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みどころ

家康が出陣の際に、必ず祈願したということから、必勝祈願の神社として知られる。6月から8月のハスの開花期は、花の名所として親しまれている。
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補足情報

*松平親忠:松平氏4代当主。15世紀半ばから末期、室町時代中期・戦国時代に活躍した武将。1467(応仁元)年、第一次井田野合戦で、品野や伊保の地域の軍勢を破る。1470(文明2)年、伊賀八幡宮を創建。引き続き1475(文明7)年、松平氏菩提寺の大樹寺を創建。1477(文明9)年、大恩寺の開基として同寺を中興する。1493(明応2)年、第二次井田野合戦で、上野城・寺部城・拳母城・伊保城・八草城を攻撃し勝利を治め、武名をあげる。大樹寺に墓がある。
*随神門:檜皮葺の入母屋造で、下層が広い。朱塗と彫刻が施され鮮やか。左右に随神(神像)を安置している。
*拝殿:正面5間、側面3間、入母屋造。
*幣殿:正面2間、側面1間、両下造(切妻造の妻がないような形式)。
*本殿:三間社流造。
関連リンク 伊賀八幡宮(WEBサイト)
参考文献 伊賀八幡宮(WEBサイト)
文化財ナビ愛知(愛知県)(WEBサイト)
岡崎おでかけナビ(WEBサイト)
あいち観光ナビ(一般社団法人愛知県観光協会)(WEBサイト)
『愛知県の歴史散歩 下』愛知県高等学校郷土史研究会=編 山川出版社

2024年05月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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