玉泉寺ぎょくせんじ

伊豆急行線伊豆急下田駅から東へ約2km、須崎半島の根元、下田港に面した海岸線から少し入った高台にある。玉泉寺は、1854(嘉永7)年の日米和親条約付録13ヶ条により米国黒船乗員の休息所・埋葬所に指定され、同年、日露和親条約の交渉の場ともなった。
 1856(安政3)年には米国使節タウンゼント・ハリスが江戸幕府との折衝の末、通訳官ヒュースケンとともにアメリカ領事館として居を構えたところである。
 アメリカ領事館は1859(安政6)年まで同寺に置かれ、幕末外交史の舞台のひとつとなった。正面の建物が居間兼事務所として使用された本堂で、右手奥のハリス記念館*1には彼の遺品や当時の記録が陳列されている。また、境内には日本で初めて屠牛が行われたことを示す屠牛木供養塔と牛乳の碑が立ち、裏手の墓地には米露黒船乗員墓地*2もある。                              
 玉泉寺は、もとは真言宗の草庵であったものを、天正年間(1573~1592年)に曹洞宗へ改宗され、1848(嘉永元)年に現在地に移転し、今に続く本堂が落成した。領事館に使用された本堂は間口七間奥行六間寄棟造、内部はハリス居室、通弁(通訳)官ヒュースケン居室、事務室などの部屋割りがそのまま遺されている。また、「唐人お吉の悲話」*3もこの寺が舞台となっている。
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みどころ

初めてわが国が外国の領事館として正式に認めた初代アメリカ領事館が置かれた場所であり、寺の本堂は部屋割りなどに当時の規模、状態が良く遺っており、幕末の開国に向けての外交史を知るには重要な史跡である。
 また、ハリス記念館でもアメリカ総領事の当時の動向を知ることができる。
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補足情報

*1 ハリス記念館:タウンゼンド・ハリス総領事の愛用品や関連資料、古文書などを展示。また、黒船来航時、下田港で海外無断渡航を試みた吉田松陰の遺品、ロシアの黒船ディアナ号将校が撮影した日本最古の銀板写真等が展示されている。
*2 米露黒船乗員墓地:米国黒船乗員5名、露国黒船乗員4名が眠る。幕末当時に建立された墓石が現存し、国際条約に則った日本最初の外人墓地。                                                                     *3 唐人お吉の悲話:悲話としては、滞在中のアメリカ総領事ハリスが病気になり、幕府に看護人を要請し、送られてきたのが芸者の「お吉」であったが、実際は看護人でなく妾であったことから、勤め終わった後、世間から「ラシャメン」といわれ自殺したというストーリー。しかし、実際のお吉とみられる女性は芸者ではなく、玉泉寺にはわずか3日ほど召使いとして勤めただけで、皮膚病のため解雇されたという。「お吉」とされている写真もあるが、撮影時の年齢が合っておらず別人と推定され、悲話自体がほぼフィクションだと言われている。この悲話が喧伝されたのが昭和初期で、ちょうど日米関係が悪化していた時期という、時代背景もあると考えられている。
関連リンク 瑞龍山 玉泉寺(WEBサイト)
参考文献 瑞龍山 玉泉寺(WEBサイト)
あなただけの下田旅(一般社団法人下田市観光協会)(WEBサイト)
国指定文化財等データベース(文化庁)(WEBサイト)
『静岡県の歴史』 荒木敏夫、杉橋隆夫、山本義彦、本多隆成 編 山川出版社

2023年10月現在

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