掛川大祭かけがわおおまつり

3年に1度*1、干支の丑、辰、未、戌にあたる年の10月上旬に4日間にわたり行われる。掛川市内にある7神社(龍尾神社、神明宮、利神社、池辺神社、白山神社、津島神社、貴船神社)の氏子41町が参加する合同祭礼大祭で、約40の山車と龍尾神社の神輿渡御の露払いを務める瓦町の獅子舞「かんからまち」*2、仁藤町の「大獅子」*3、掛川宿当時を偲ぶ西町の「奴道中」*4が登場して、掛川駅北側のお祭り広場を中心に市内を練り歩く。
 この祭りは、もともとは龍尾神社、神明宮、利神社の3神社により江戸時代中期から掛川宿の祭りとして行われてきたが、近年の市街地整備により7神社の合同の祭礼となった。
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みどころ

掛川駅の北側のお祭り広場では、市内41町がそれぞれに華やかに飾られた屋台や踊り、舞、お囃子、余興を披露するので、ここでの見物をお勧めするが、各町内でもそれぞれ特徴のある屋台が練り歩き、披露されるので、間近に楽しむのも面白い。                                         
 なかでも瓦町の「かんからまち」は、透き通るような笛の音とリズムをとる太鼓の響きなかで、黒髪の3頭の獅子が躍動的な「道行」、舞場を踏み固めるような所作の「三角舞」、2頭の雄獅子「龍」「尾」が1頭の雌獅子「山」を奪い合う「本舞」、舞場を出る「戻り三角舞」と4部構成からなる伝統の舞を披露してくれる。
 仁藤町の「大獅子」は、道一杯の巨大な「大獅子」が巧みに操られ、躍動的な舞い姿は圧巻。西町の「大名行列」は、白毛の印の長柄槍を投げ渡す演技などが参勤交代の行列を再現し、興味深い。
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補足情報

*1 3年に1度:大祭を行う干支の丑、辰、未、戌年以外の間の2年間は規模を縮小して、小祭(こまつり)として「掛川祭」が行われる。ただし、「神輿渡御」の斉行はなく、「かんからまち」「大獅子」「奴道中」は登場しない。小祭は3日間の開催。
*2 獅子舞「かんからまち」(瓦町):起源について諸説あるが、今川氏の重臣である朝比奈泰煕が掛川城築城の際、牛頭天王社(後の龍尾神社)に獅子頭を供え、舞を奉納したのが始まりと言われている。1755(宝暦5)年に掛川宿の問屋場の史料にすでに祭の記載があることから、掛川城下の公認された祭であったと思われる。
*3 大獅子(仁藤町):重さ220㎏の頭、25mの胴体(母衣)の巨大な獅子を百数十人で操り、舞う。竹法螺の音が大獅子の到来を告げ、「鉄火」の曲にのって舞が披露される。幕末に仁藤町の天然寺帆誉覚存上人が伊勢国白子町での大獅子頭の山車曳き回しを見て、考えついたといわれている。大祭中は市中を練り歩くとともに、最終日の夕方には天然寺境内でかがり火のなか乱舞する。
*4 大名行列(奴道中)(西町):西町伝統の祭。薩摩島津氏の大名行列を模して道中を再現したもの。江戸時代当時の大名行列は、多くの奴(やっこ)までを揃えて隊列を組み行進したのは宿場内だけといわれ、掛川宿では、西から江戸に向かう場合は、西の木戸がある十九首から宿場の番所がある西町との間の1kmほどだったという。なお開催期間中は、「奴道中」のみの場合と「大名行列」として総編成で練り歩く場合とがある。