ほうとうほうとう

独特の麺を味噌仕立ての汁で煮込む山梨県の郷土料理のひとつ。「ほうとう」に使う麺は、うどんとは異なり、塩を加えずに麺を打ち、ねかさずにそのまま切って味噌仕立ての汁で煮込む。このため、麺の煮崩れがおこりやすく、汁にとろみがつくのが特徴。具にはジャガイモ・ナス・ネギなどのたくさんの野菜を入れることが多く、とくに冬に旬となるカボチャが合うといわれる。
 「ほうとう」の由来については、諸説*あるが、山梨県で「ほうとう」が広まったのは、山間部を中心に米作りが困難だったところから近世に入って養蚕が盛んになり、桑畑が増えた結果、桑の収穫期以降の裏作として麦の栽培が一般化し、「おねり」や「おやき」など粉食料理が発達したためといわれている。その代表的な料理が「ほうとう」であったという。
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みどころ

甲府盆地の底冷えのする冬に、あつあつの「ほうとう」が最高。とろみがついた汁と、少し煮崩れした麺と具を楽しみたいところ。味噌(場合よっては醤油)や具などは、それぞれの家庭で独特なものもある。そのため、店や旅館によってもそれぞれ特色がある。
 「ほうとう」の由来として、郷土の英雄 武田信玄が自分の刀で食材を切ったことから「宝刀」と名付けられた、陣中食だったという説もあり、歴史的なロマンを広げてはくれるが、これは第2次世界大戦後、観光用に流布されたというのが通説だ。
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補足情報

*諸説:比較的古い段階で「ほうとう」について触れられているのが、承平年間(931年~938年)に編纂された「和名類聚抄」だ。この中で餺飥(はくたく)という麺に関する記述があり、「衦麺方切名也」(延ばした麺を四角に切ったものの名)と記されている。この音が変化して「ほうとう」になったという説がある。同時期の他の典籍にも同様の記述はみられ、いずれもこの餺飥については小麦を原料として中国から伝わったものとされている点が共通している。
 また、柳田国男は「木綿以前の事」の「餅と臼と擂鉢」のなかで、「東北で今日ハットウと謂っているのは、主として蕎麦のかい餅をつみ入れた汁類のことであり、出来た食品が関西のハッタイとは全く違っているために、両者もとは共にハタキモノの義」であることを忘れられているが、その「ハタキモノ」とは「今の製粉工業のごとく生のままで粉にはたくこと(注:搗いて粉にすること)であった」と解説している。 さらに「信州でも下伊那方面にはハットという語があって、只その川上から甲州の盆地にかけて、是をホウトウと謂うのである。ホウトウは現在の細く切った蕎麦・饂飩の原形であったろうと思う」として推論している。                                                                               
 江戸中期、1752(宝暦2)年に甲府勤番士野田成方が記した「裏見寒話」では、「ほうとう」について、「是者饂飩を紐革のごとく打ちて味噌汁にて煮て食す。本名を蛤膓(鮑膓・ほうちょう)といふ。里人誤りて『ほうとう』というなり」と、紹介している。これから分かることは、少なくとも江戸中期には山梨において「ほうとう」が一般化していたことである。名前については、野田成方は、「鮑膓」を本名としているが、これは九州の大分地方で、小麦粉生地をちぎってだんご状にし細長く手でのばしたものを、あわびの腸に似ていることからこの名で呼んでおり、これを指していると思われる。
 なお、「ほうとう」と称する同様な麺あるいはその類似するものは、群馬、埼玉、長野、岐阜、高知など各地にある。