清浄光寺(遊行寺)しょうじょうこうじ(ゆぎょうじ)

藤沢駅の北東約1kmにある。1276(建治2)年一遍上人によって開宗された時宗の総本山。時宗は遊行念仏宗ともいわれ、歴代の宗主が信仰の歓喜を踊念仏に表わし、全国を遊行教化したので、同寺の住職を代々遊行上人と呼び、寺名も一般に遊行寺というようになった。
 当寺の開基は1325(正中2)年、遊行4代の呑海によるもので、以来、足利・徳川幕府や一般庶民の信仰を集めて隆盛をみた。再建された壮大な本堂のほか、中雀門・黒門・鐘楼などが立ち、境内には敵御方供養塔*・万葉植物園・樹齢700年の大イチョウなどがある。また浄瑠璃で名高い小栗判官と照手姫の墓*や板割浅太郎の墓*と称するものもある。
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みどころ

踊念仏が特徴的な時宗の総本山で、1325(正中2)年創建という古い歴史をもつ。
 広い境内の後方にかまえる本堂は、木造としては東海道随一の大きさといわれ、本堂を含む境内の10棟が国の登録有形文化財に指定されている。境内中央にそびえる樹齢約700年の大イチョウも迫力があり、秋には鮮やかな黄色に色づく。(溝尾 良隆)
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補足情報

*敵御方供養塔:東門脇にある1.5mの石碑。1416(応永23)年の上杉禅秀の乱で戦死した上杉・足利両軍の人と馬の供養のため、1418(応永25)年当寺15代尊恵上人が建てたもの。わが国最古の赤十字精神の象徴とされる。
*上杉禅秀の乱:1416(応永23)年、もと関東管領上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方足利持氏に謀叛して起こした乱。結果は失敗し、氏憲は1417(応永24)年鎌倉雪ノ下で自害した。
*小栗判官と照手姫の墓:本堂右手奥の支院長生院にある。常陸国小栗の城主小栗満重は謀叛を起こして敗れ、三河へ逃れる途中、ここ藤沢で毒殺を謀られたが、妓女照手の機知で救われる。のち照手は満重の妻となり、満重死後出家して長生院に夫の菩提を弔ったと伝わる。
*板割浅太郎の墓:総門を入った左手の墓所の奥。伝えによれば、浅太郎は国定忠治と別れたのち、長野県野沢の時宗金台寺に入って出家し、本山復興に貢献したという。墓碑には「洞雲院弥阿列成和尚」とある。
関連リンク 遊行寺(WEBサイト)
参考文献 遊行寺(WEBサイト)

2020年04月現在

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