旧古河庭園
JR上中里駅の南、本郷通りに沿っている。鉱山経営で財をなした古河財閥の3代目当主、古河虎之助*の旧邸宅で、面積は約3万780m2。
現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル*で、1917(大正6)年に完成した。日本庭園は庭師七代目植治こと小川治兵衛の作で、心字池*を中心とした池泉回遊式庭園。大戦後、洋館はイギリス軍将校の宿舎になったが、保存がよく貴重な文化遺産であるため、1956(昭和31)年から都立公園として公開されている。また、2006(平成18)年には、国の名勝に指定された。洋館と茶室は(公財)大谷美術館が管理している。
現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル*で、1917(大正6)年に完成した。日本庭園は庭師七代目植治こと小川治兵衛の作で、心字池*を中心とした池泉回遊式庭園。大戦後、洋館はイギリス軍将校の宿舎になったが、保存がよく貴重な文化遺産であるため、1956(昭和31)年から都立公園として公開されている。また、2006(平成18)年には、国の名勝に指定された。洋館と茶室は(公財)大谷美術館が管理している。

みどころ
武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配している。丘の上の洋館から見下ろす明るい斜面の洋風庭園には、草花が植えられており、日本庭園は池を配した回遊式庭園となっている。数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の調和を実現して独特な情趣をかもしている。
洋館は英国貴族の邸宅にならった古典様式で格調が高い。洋風庭園から見上げる姿は見事であり、この庭園のシンボルとして有名なポスターで目にしている人も多い。
洋風庭園では、毎年4月下旬にツツジ、5月中旬と10月中旬ごろにはバラが見ごろとなって大輪の花を咲かせる。洋館と相まって、異国情緒を醸し出している。
日本庭園は心字池を中心に大滝、枯滝が美しく、雪見灯籠が周囲の緑に映え、池越しの写真被写体として絶好である。
六義園とそれほど遠くないので、合わせて訪れるのもよいだろう。
洋館は英国貴族の邸宅にならった古典様式で格調が高い。洋風庭園から見上げる姿は見事であり、この庭園のシンボルとして有名なポスターで目にしている人も多い。
洋風庭園では、毎年4月下旬にツツジ、5月中旬と10月中旬ごろにはバラが見ごろとなって大輪の花を咲かせる。洋館と相まって、異国情緒を醸し出している。
日本庭園は心字池を中心に大滝、枯滝が美しく、雪見灯籠が周囲の緑に映え、池越しの写真被写体として絶好である。
六義園とそれほど遠くないので、合わせて訪れるのもよいだろう。

補足情報
*古河虎之助:1887-1940 古河財閥創業者古河市兵衛*の実子で、3代目当主。元勲陸奥宗光の邸宅の周囲の土地を買い足し、新たに洋館や庭園を整備した。
*古河市兵衛:1832~1903 京都生まれ。1877年足尾銅山を買収して成功。古河財閥の始祖。
*ジョサイア・コンドル Josiah Conder:1852~1920年。イギリス人。ロンドン大学で設計を学び、1877(明治10)年来日。東京に建築事務所を設け、日本の洋風建築に大きな影響を与えた。鹿鳴館・ニコライ堂・岩崎邸などが代表作である。
*心字池:日本式庭園で「心」の字をかたどって造られた池。桂離宮、日比谷公園、東京大学三四郎池など。
*古河市兵衛:1832~1903 京都生まれ。1877年足尾銅山を買収して成功。古河財閥の始祖。
*ジョサイア・コンドル Josiah Conder:1852~1920年。イギリス人。ロンドン大学で設計を学び、1877(明治10)年来日。東京に建築事務所を設け、日本の洋風建築に大きな影響を与えた。鹿鳴館・ニコライ堂・岩崎邸などが代表作である。
*心字池:日本式庭園で「心」の字をかたどって造られた池。桂離宮、日比谷公園、東京大学三四郎池など。
関連リンク | 公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト) |
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参考文献 |
公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト) GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) 公益財団法人大谷美術館(WEBサイト) |
2025年06月現在
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