湯島天満宮ゆしまてんまんぐう

JR御徒町駅から春日通りを西へ450m、東京メトロ湯島駅から150mほど春日通り沿いに歩く。神社の正面は切通坂の反対、南側となっており、湯島駅から中坂を登ることになる。
 社伝によれば、458(雄略天皇2)年、雄略天皇の命により天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀ったのをはじまりとし、1355(正平10)年、湯島の郷民が菅公(菅原道真)を勧請しあわせて奉祀し、1478(文明10)年に太田道潅が再興*1したと伝えられている。1591(天正19)年には徳川家康が湯島郷に朱印地を寄進したという。
 神社の南側の参道周辺には民家や飲食店などが迫り、社前には「寛文7(1667)年、同8(1668)年」の刻銘が施された青銅の表鳥居が配されている。社殿は1703(元禄16)年の大火で全焼し、翌(宝永1)年に徳川綱吉の寄進で再建された。1855(明治18)年に改築されたが、老朽化が進んだため、1995(平成7)年に総檜造りで再建され、現在に至る。
 別名湯島天神と呼ばれ、学問の神様として合格祈願などの参拝客は極めて多い。また、境内は古くから梅の名所で「湯島の白梅」として親しまれており、かつては泉鏡花の『婦系図(おんなけいず)』*2の舞台としても知られ、泉鏡花の筆塚がある。表鳥居を入って右手に宝物殿*3があり、拝殿前には迷子知らせの奇縁氷人石*4もある。
 年中行事としては「梅まつり」(2月上旬~3月上旬)や湯島天神祭(5月下旬の週末)などが有名だ。
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みどころ

かつては、泉鏡花の戯曲版「婦系図」の別れの場面として、あるいは、1955(昭和30)年の映画「婦系図 湯島の白梅」で知られていたが、現在は受験シーズンの風物詩として有名だ。湯島天満宮での合格祈願の絵馬奉納の様子と賑わいをテレビニュースで目にした人は多いに違いない。境内には奉納した絵馬がまさに鈴なりに下げられている。
 湯島天満宮の門前はすでに江戸時代から町家が並ぶ繁華な花街でもあったといい、文政年間(1818~31年)の「寺社書上」(寺社からの幕府への報告書)によれば、有名な「売薬香具見世」をはじめ「土弓場(遊戯の矢場)十三ヶ処」「茶店十三ヶ処」があったと記されている。現在も天満宮のある坂上は、民家やマンションなどが建ち並ぶものの、男坂、女坂などを下った坂下には飲食を中心とした湯島の繁華街が広がっている。かつては、これらの坂上からは、上野の町並みを一望できたが、現在はビルなどが建て込み、かつての眺望は失われ、風情も薄れた。しかし、坂下は今でも、ディープな雰囲気が漂う飲食街として賑わっている。
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補足情報

*1 再興:太田道灌の再興については天保年間(1831~45年)の「江戸名所図会」によれば「夢中に菅_(菅原道真)に謁見す。翌朝外(ほか)より菅丞相真筆の画像を携え来たる者あり。乃ち夢中拝する所の尊容に彷彿たるを以て直に城外の北江(へ)祠堂を営み彼の_影を安置」したという伝承を記している。
*2 婦系図:明治の文豪泉鏡花の小説。1907(明治40)年1月から4月まで「やまと新聞」に連載された半自伝的な長編。発表の翌年、新派の舞台で上演、有名な「湯島境内の場」は、この上演のために鏡花自身が書き加えたものである。
*3 宝物殿:刀剣や梅に関する日本画などを展示。有料。
*4 奇縁氷人石:嘉永年間、江戸市中に設けられた迷子知らせの石標の一つ。同種の石標は八重洲の一石橋(日本橋川)に残っている。