小石川植物園こいしかわしょくぶつえん

都営地下鉄白山駅から徒歩10分、文京区のほぼ中央、白山台地の上にある。正式名称は東京大学大学院理学系研究科附属植物園で、植物学の教育・研究を目的とする東京大学の施設である。徳川幕府5代将軍綱吉が館林藩主だったころに白山御殿と呼ばれる下屋敷が置かれていた場所で、その後、1684(貞享1)年に幕府が当地に設けた小石川御薬園に源を発する。青木昆陽*がサツマイモの試作を行った場所としても知られ、園内中央に記念碑がある。さらに、8代将軍吉宗の時代に施薬院(小石川養生所)が置かれ、貧しい人々を無料で診察した。園内に養生所の井戸跡が残る。1877(明治10)年に東京大学の所管となった。16万1588m2の園内では台地、傾斜地、低地、泉水地などの変化に富む地形を利用して、約4000種類の植物が栽培されている。2019(令和1)年に再建されて以前の4倍の1249m2の広さとなった公開温室は、6つの温室と冷温室に分割され、部屋ごとに栽培環境を調節できるようになっており、約2000種が栽培されている。北西部の低地に日本庭園がむかしの面影をとどめており、花菖蒲などが美しく咲く。園内には旧東京医学校本館の建物が移築されている。
 東京で栽培の難しい山地植物に関する教育・研究を主目的として、1902(明治35)年に栃木県日光市に「日光分園」が設置された。「日光植物園」の通称で親しまれ、こちらも一般公開されている。
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みどころ

つぎの点に留意しながら、園内を歩きたい。
・「生きた化石」として世界的に有名なメタセコイア。小石川植物園のメタセコイア林は、1946(昭和21)年、中国四川省で発見された現生種に由来している。
・園内の中ほどには、1896(明治29)年に職員の平瀬作五郎がイチョウの精子を発見したというイチョウの巨木がある。この発見は世界の学界に大きな反響を起こし、木の根元に石碑が建てられている。
・ニュートンの生家にあり、「万有引力の法則」の逸話が伝えられるリンゴの木は、各地の科学関係の施設に分譲されて大切に育てられている。小石川植物園には、1964(昭和39)年に英国から贈られた枝を接ぎ木したものがある。
・メンデルが遺伝学の実験に用いたブドウの木は、1913(大正2)年、チェコの旧実験園に残っていたブドウの分譲を申し出、その翌年に送られてきたもの。
 植物園では講演会、観察会、企画展、研究の紹介などが行われている。また、小石川養生所は山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』の舞台となった。
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補足情報

*青木昆陽:1698~1769年 江戸中期の儒学者・蘭学者。江戸日本橋の生まれ。京都で伊藤東涯に学び、また8代将軍徳川吉宗の命で蘭学を学び、幕府の書物奉行となる。1735(享保20)年「蕃藷考」を書き、救荒食として甘藷の栽培・普及につとめたことで有名。甘藷先生と呼ばれた。
関連リンク 小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)(WEBサイト)
参考文献 小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)(WEBサイト)
東京大学大学院理学系付属植物園案内図

2025年06月現在

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