小石川後楽園こいしかわこうらくえん

東京ドームの西に隣接している。もとは水戸藩上屋敷内の庭園で、面積は約7万847m2。東門へはJR水道橋から徒歩5分、西門へはJR飯田橋から徒歩8分で到達する。
 1629(寛永6)年、水戸初代藩主徳川頼房が名匠徳大寺左兵衛に命じて作庭に着手、2代光圀のときに完成した回遊式築山泉水庭園である。園内に神田上水を導いて池水を作り、わが国の名勝をかたどった中山道の寝覚の滝・木曽山・琵琶湖・渡月橋・竜田川(奈良県)・清水観音堂(京都府)・愛宕坂(福井県)・唐崎の松(滋賀県)などを配し、全国の名所めぐりを楽しんだという。また光圀は、中国から来ていた朱舜水*(しゅしゅんすい)を参画させて、円月橋*や西湖の堤など中国趣味を多分にとり入れて、作庭様式に特色をもたせている。日本と中国の名所や古典になぞらえた見所など、名勝地を庭園内にかたどるのは江戸時代の大名庭園*の特色の一つであった。後楽園の名は中国宋の「岳陽楼記」*からとったものである。園内の南西部にある涵徳(かんとく)亭は集会施設として一般も利用できる。
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みどころ

現存する江戸時代最古の大名庭園で「大泉水*」の「海」の「景」を中心に、周囲に「山」「川」「田園(村里)」などの「景」が連環して配置されており、変化に富んだ風景が展開する。西門を入り、樹林の中をしばらく行くと急に視界が開け、明るい庭園が広がるのがこの庭園の魅力の一つである。
 園の中央にある大泉水は琵琶湖に見立てて、蓬莱島と竹生島を配したもので、西側の池畔にある大きな一つ松も見どころである。また、北側には花菖蒲田と稲田があり、6月には花菖蒲が見ごろとなる。稲田は光圀が農民の苦労を伝えるためにつくった田。今でも文京区の小学5年生が田植と稲刈りを行っているという。稲田付近にある九八屋(くはちや)は江戸時代の風流な酒亭を表した建物。酒を飲むなら「昼は九分、夜は八分にすべし」と控えめにせよという教訓からつけられたユーモラスな名前だ。
 東門の近くには内庭と唐門(からもん)がある。唐門はかつての「後楽園」への正式な入り口であり、江戸時代には将軍や要人のみが通ることができた。空襲で焼失したが、残されていた石段や石積みを復元し、2020(令和2)年に完成した。
 その他、通天橋*、円月橋、延段*などもみどころ。また、2月上旬には梅林に40種ほどの梅が咲く。
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補足情報

*朱舜水:1600~1682年。中国明の儒学者。江戸時代初期に来日。
*円月橋:水面に映る橋の形と合わせ満月のように見えることからこの名がつけられた。江戸時代の姿をとどめる貴重な建造物。
*江戸時代の大名庭園:江戸時代初期は比較的小規模な庭園であったが、江戸幕府が支配体制を固めるため将軍の藩邸訪問が行われ、それに伴い築造されたものが多くなった。
*岳陽楼記:范文正の記。文中に「士当先天下之憂而憂、後天下之楽而楽(士は天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」)とある。為政者の心得を説くもので、光圀も自らの政治的信条とした
*泉水:造園用語。自然の泉を利用するか、人工的に水を引いて、庭園や広場などに噴水、流水、落水、池などを設けたもの。小石川後楽園、清澄公園などに見られる。
*通天橋:京都の東福寺の通天橋を模して造られたもの。
*延段:大小の自然石と切石を組み合わせた中国風の素朴で美しい石畳。
関連リンク 公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト)
参考文献 公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト)
GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト)
「江戸東京の庭園散歩」 JTBパブリッシング
「東京都の歴史散歩」 山川出版社

2025年06月現在

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