護国寺
東京メトロ護国寺駅のすぐ近く、不忍通りが首都高速5号と交差するあたりにある。1681(天和元)年に江戸幕府5代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の発願によって創建、幕府所属の高田薬園の地に堂宇を建立し、翌1682(天和2)年に完成した。桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、歴代将軍の崇敬を得た。1703(元禄16)年には寺領1200石だったが、1720(享保5)年に神田護持院が焼失したことにより併設されたため、2700石の寺領となり、江戸屈指の大寺として栄えた。真言宗豊山派。
明治・大正期に2度の火災に遭い、多くの堂宇が焼失したが、山内には江戸期に建立した本堂*・仁王門・惣門や境内で移築・修復された薬師堂、大師堂が往時の姿をと残している。このほか1928(昭和3)年に寄進され、滋賀県園城(三井)寺由来の桃山期の月光殿*2や多宝塔・書院・本坊などの堂宇が建ち並び、月光殿を含め月窓軒・不昧軒・宗澄庵など10指を数える茶室がある。
本堂裏手の墓地には、明治の元勲三条実美、大隈重信、山県有朋など多くの名士の墓がある。
明治・大正期に2度の火災に遭い、多くの堂宇が焼失したが、山内には江戸期に建立した本堂*・仁王門・惣門や境内で移築・修復された薬師堂、大師堂が往時の姿をと残している。このほか1928(昭和3)年に寄進され、滋賀県園城(三井)寺由来の桃山期の月光殿*2や多宝塔・書院・本坊などの堂宇が建ち並び、月光殿を含め月窓軒・不昧軒・宗澄庵など10指を数える茶室がある。
本堂裏手の墓地には、明治の元勲三条実美、大隈重信、山県有朋など多くの名士の墓がある。

みどころ
天保年間(1831~1845年)発行の「江戸名所図会」には、「本堂周辺図」が見開き、「護国寺境内西国札所写三十三所観音の図」が2ページ半と、壮大な俯瞰図が描かれており、往時の隆盛ぶりがよく分かる。1935(昭和10)年発行の「小石川区史」でも「當寺は概ね丘陵の上に有り、境内頗る廣濶、林樹風致に富み、築山、治水などもあって公園の趣を呈し、又音羽通り十数町を其の門前町とし、現に市内屈指の佛刹である」として記しており、門前町はなくなったものの、現在もその雰囲気、規模感はそう変わっていない。
音羽通りの地下鉄の出口から出ると、まず、壮大な仁王門が目に入る。門を抜けてしばらく進むと両脇に大きな手洗水盤2基が待ち構える。これは桂昌院の寄進によるもので、元禄期(1680~1709年)の作といわれる。存在感があり、「江戸名所図会」にもきちんと描かれている。石段を登ると広々とした境内の正面には庇を大きく伸ばし、重量感ある大屋根の本堂が迎えてくれる。
堂内は自由に拝観可能だが、本尊の開帳は、毎月18日と1月1~5日、節分会、四万六千日と特別行事の日に限られているので、拝観したい場合は注意を要する。
音羽通りの地下鉄の出口から出ると、まず、壮大な仁王門が目に入る。門を抜けてしばらく進むと両脇に大きな手洗水盤2基が待ち構える。これは桂昌院の寄進によるもので、元禄期(1680~1709年)の作といわれる。存在感があり、「江戸名所図会」にもきちんと描かれている。石段を登ると広々とした境内の正面には庇を大きく伸ばし、重量感ある大屋根の本堂が迎えてくれる。
堂内は自由に拝観可能だが、本尊の開帳は、毎月18日と1月1~5日、節分会、四万六千日と特別行事の日に限られているので、拝観したい場合は注意を要する。

補足情報
*本堂(観音堂):1697(元禄10)年幕命によって建立。正面7間、側面7間、単層、入母屋造、向拝3間、瓦棒銅板葺で、本尊如意輪観世音菩薩像を安置している。
*月光殿:滋賀県大津市の園城(三井)寺日光院の客殿を移築したもの。桃山時代の書院建築の代表的なものである。
*月光殿:滋賀県大津市の園城(三井)寺日光院の客殿を移築したもの。桃山時代の書院建築の代表的なものである。
関連リンク | 大本山護国寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
大本山護国寺(WEBサイト) 「江戸名所図会 十二」1893年 博文館 44/55 国立国会図書館デジタルコレクション 「小石川区史」1935年 491/604 国立国会図書館デジタルコレクション |
2025年06月現在
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