正福寺地蔵堂
西武新宿線東村山駅の北西約700mにある臨済宗の古刹。寺伝では1278(弘安元)年、北条時宗が病平癒を謝して仏殿を建てたとされるが、北条一族の入宋僧無象静照 (むぞうじょうしょう)(1234~1306年)が師の南宋径山寺石渓心月を勧請して開山し、草創したものと考えられている。臨済宗建長寺派。
山門を入り、本堂手前にある地蔵堂*1について、江戸後期の地誌「新編武蔵国風土記稿」では「佛殿、五間四方茅葺(現在は_葺)ナリ 本堂ニ向テ左ノ方ニアリ 千體(体)地蔵*2ノ像ヲ安ス ソノ長或ハ七寸、或ハ五寸ノ小像ニテ木ニテ造レリ。相傳フ當寺ハ昔北條時宗(或ハ時頼ト云)本堂及ビ諸堂ヲ建立セシカ コノ堂ノミ残リテ自餘の堂ハ先ニ祝融(火事)ノ災ニカゝシトナリ 其結構ノサマ普通ノ堂トハ大二コトナリ 問ハスシテ故アル堂トハシ(知)ラル」としており、江戸期よりすでに広く知らていた建築物である。
現在、建造物としては東京都内における唯一の国宝の木造建造物。なお、地蔵堂の建立時期については、尾垂木を支える持送りに1407(応永14)年の墨書があることから、室町中期と分かっている。地蔵堂左手前には、「貞和の板碑」*3も遺る。
山門を入り、本堂手前にある地蔵堂*1について、江戸後期の地誌「新編武蔵国風土記稿」では「佛殿、五間四方茅葺(現在は_葺)ナリ 本堂ニ向テ左ノ方ニアリ 千體(体)地蔵*2ノ像ヲ安ス ソノ長或ハ七寸、或ハ五寸ノ小像ニテ木ニテ造レリ。相傳フ當寺ハ昔北條時宗(或ハ時頼ト云)本堂及ビ諸堂ヲ建立セシカ コノ堂ノミ残リテ自餘の堂ハ先ニ祝融(火事)ノ災ニカゝシトナリ 其結構ノサマ普通ノ堂トハ大二コトナリ 問ハスシテ故アル堂トハシ(知)ラル」としており、江戸期よりすでに広く知らていた建築物である。
現在、建造物としては東京都内における唯一の国宝の木造建造物。なお、地蔵堂の建立時期については、尾垂木を支える持送りに1407(応永14)年の墨書があることから、室町中期と分かっている。地蔵堂左手前には、「貞和の板碑」*3も遺る。

みどころ
住宅街を抜けて、小さな山門をくぐると、正面に四隅をはね上げた杮葺の伸びやかで質実剛健な立ち姿を見せる地蔵堂が現れる。その凛とした姿には立ち尽くすほど。つぎにこの建物の形状が鎌倉の円覚寺舎利殿の姿にそっくりなことを思い起こすことになる。ただ、円覚寺の舎利殿は16世紀末に火災で焼失しており、現在、円覚寺で見る舎利殿は、この地蔵堂の建立時期と同じ頃のものとされる仏殿を他から移築したといわれる。そのため、建立当時の唐様禅宗様式の建物がそのまま遺る正福寺の地蔵堂がいかに貴重かが良く分かる。
内部は極めて質素で土間床だが、天井は釘を使わずに柱や貫(ぬき)・頭貫(かしらぬき)・台輪*4、板壁が寄木細工のようにしっかりと組まれ、まさに幾何学美を見せている。本尊は江戸後期のものだが、シンプルで落ち着きのある面差しである。本尊の周りの棚には、小さな千体地蔵が所狭しと並べられている。
なお、外観は常時拝観可能だが、内部の拝観は年3回(6月、8月、11月)のそれぞれ1日だけなので、事前の確認が必要だ。
内部は極めて質素で土間床だが、天井は釘を使わずに柱や貫(ぬき)・頭貫(かしらぬき)・台輪*4、板壁が寄木細工のようにしっかりと組まれ、まさに幾何学美を見せている。本尊は江戸後期のものだが、シンプルで落ち着きのある面差しである。本尊の周りの棚には、小さな千体地蔵が所狭しと並べられている。
なお、外観は常時拝観可能だが、内部の拝観は年3回(6月、8月、11月)のそれぞれ1日だけなので、事前の確認が必要だ。

補足情報
*1 地蔵堂:正福寺の本堂だったとされるところ(現在は裏手に本堂がある)で、堂内の棚に千体を超える小地蔵が納められている。このことから、地元では千体地蔵堂と呼ばれている。同時期に建立された鎌倉の円覚寺舎利殿と構造・様式がよく似ており、3間四方。単層裳階(もこし)付の屋根は入母屋造・柿葺(こけらぶき)で、建築年代が確認された最古の唐様仏殿とされる。なお、現在は柿葺ではあるが、かつては茅葺だったとされ、1859(安政6)年の「屋根組替修覆造営」の際に_葺に改修されたのではないかとされている。
*2 千体地蔵:地蔵信仰が盛んだった江戸中期を中心に多くの小さな木造の地蔵仏が奉納されたとされ、堂内の長押などに置かれ、祈願者はこの地蔵仏一体を家に持ち帰り、祈願が成就すると、新たな地蔵仏も添えて奉納したという。この地蔵仏の大ささは10cmから30cmほど。なお、地蔵堂の本尊は江戸後期の作とされている。
*3 貞和の板碑:都内最大の板碑で、高さ285m。1349(貞和5)年に作られたものだが、昭和初めまでは市内を流れる前川の橋の一つに用いられていたという。
*4 貫(ぬき)・頭貫(かしらぬき)・台輪:構造を横木で支える各種の部材。
*2 千体地蔵:地蔵信仰が盛んだった江戸中期を中心に多くの小さな木造の地蔵仏が奉納されたとされ、堂内の長押などに置かれ、祈願者はこの地蔵仏一体を家に持ち帰り、祈願が成就すると、新たな地蔵仏も添えて奉納したという。この地蔵仏の大ささは10cmから30cmほど。なお、地蔵堂の本尊は江戸後期の作とされている。
*3 貞和の板碑:都内最大の板碑で、高さ285m。1349(貞和5)年に作られたものだが、昭和初めまでは市内を流れる前川の橋の一つに用いられていたという。
*4 貫(ぬき)・頭貫(かしらぬき)・台輪:構造を横木で支える各種の部材。
関連リンク | 金剛山 正福寺(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
金剛山 正福寺(WEBサイト) 「正福寺地蔵堂」文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト) 「新編武蔵風土記稿 巻之121 多磨郡33」明治17年 92/100 国立国会図書館デジタルコレクション 東村山市教育部ふるさと歴史館「正福寺地蔵堂」(東村山市)(WEBサイト) 東村山市教育委員会「正福寺境内案内板」 |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。