深大寺
京王線調布駅から北へ約1.9kmのところにある。江戸時代初期に書かれた寺伝の開創縁起*1によれば、733(天平5)年の開基と伝えられ、都内では浅草寺に次ぐ古い歴史をもつ古刹である。中世には関東一の密教道場となり、また江戸幕府の保護によって壮大な堂宇を構えて栄えたが、2度の火災にあった。茅葺の山門*2を入ると、本堂*3・元三(がんさん)大師堂*4・庫裏・鐘楼に、国宝銅造釈迦如来倚像*5が安置されている釈迦堂などが並び、元三大師堂裏手の高台には開山堂が建つ。南門を出た先には深沙(じんじや)大王堂*6などがある。起伏のある境内は松やケヤキなど武蔵野らしい雑木林におおわれている。また、開創縁起にまつわる泉など湧水が数ケ所あり、山門前には、名物の深大寺そば*7の店が並んでいる。
年中行事では3月3・4日のだるま市*8で知られる。
年中行事では3月3・4日のだるま市*8で知られる。

みどころ
江戸後期(1812~1829年)に書かれた江戸周辺の見聞記「十方庵遊歴雑記」には、深大寺村について「此邊(辺)田畑の土性至てあ(悪)しく、唯蕎麦にのみよろしければ、深大寺村は勿論、むかし深大寺領にてありし村々より作り出すをも、皆一圓(円)に深大寺そばと呼て東武(江戸)に賞翫せり」と紹介したうえで「此村幾處となく溪あり坂あり、高低定めりがたくて莫大に廣し…実も、深大寺の邊(辺)は大樹繁茂し、野猿の聲澄澗水(かんすい=沢の水)の音のみ聞えて、更に一切の俗事をはなれ、寂々寥々として心月(仏教の悟道と澄んだ月)を観ずるべき勝地ならんかし、爰(ここ)に深大寺門前の南に一見の藁屋あり、澗水を筧にて取水車を以て蕎麦を粉にするを家業とす」と詳細に描写している。現在も周辺には住宅地が迫りつつあるものの、南に深大寺城跡の緑、北側に雑木林とその先に神代植物公園を控え、武蔵野のたたずまいをよく残している。門前にはいまも深大寺そばの店が立ち並び、水車小屋も復元され、清らかな湧水が流れている。隣接する神代植物公園とともに武蔵野の面影を追いながら、名物のソバを賞味すれば、心地よい散策となる。
散策の前後には、ここでのみどころの主役である「国宝・銅造釈迦如来倚像」とじっくり対面しておきたい。この仏像は、現在は山門を入って左手奥にある釈迦堂に安置されており、ガラス越しに参拝できる。嫋やかな曲線の体躯で、顔立ちもすっきりはしているが、緩やかな目鼻の輪郭が、より一層柔和な表情を作っている。必見。
※国宝・銅造釈迦如来倚像は、令和7年4月2日~7月上旬まで奈良国立博物館特別展「超国宝」に出展されているため、深大寺では拝観不可。
散策の前後には、ここでのみどころの主役である「国宝・銅造釈迦如来倚像」とじっくり対面しておきたい。この仏像は、現在は山門を入って左手奥にある釈迦堂に安置されており、ガラス越しに参拝できる。嫋やかな曲線の体躯で、顔立ちもすっきりはしているが、緩やかな目鼻の輪郭が、より一層柔和な表情を作っている。必見。
※国宝・銅造釈迦如来倚像は、令和7年4月2日~7月上旬まで奈良国立博物館特別展「超国宝」に出展されているため、深大寺では拝観不可。

補足情報
*1 開創縁起:深大寺には、江戸初期の「深大寺真名縁起」・江戸中期の「仮名縁起詞書」と、それを絵巻にした「深大寺縁起絵巻」が遺されている。それによると、この地の猟師右近は、いずこから現れた美女「虎」と恋仲となり、「虎」から求められ殺生をやめることを条件に夫婦となった。その夫婦に女の子が生まれ、12、3歳になった頃、「福満」という童子が現れ、恋に落ちた。しかし、右近夫婦はこれを許さず、娘を付近の池の中の島に隔離してしまった。その時、「福満」は玄奘三蔵の故事を思い浮べ、深沙(じんじゃ)大王に祈願し、霊亀の背に乗って中の島に渡った。右近夫婦はこの奇瑞を知り結婚を許し、生まれたのが、「満功(まんくう)」だったいう。このため、「満功」は父「福満」の宿願であった深沙大王の社を建立することを果すために出家し法相宗で学び、父の宿願どおり、733(天平5)年に深大寺を開創したという。
*2 山門:幕末の火災で堂宇のほとんどが焼失したが、山門はそのまま遺った。1695(元禄8)年に普請が行われたという棟札が遺る。
*3 本堂:幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は再建した庫裡に安置されていたが、1919(大正8)年に現在の本堂が竣工し、元に戻された。この時に寄棟造・茅葺から入母屋造の棧瓦葺となった。2003(平成15)年には大屋根大改修工事を行っている。
*4 元三(がんさん)大師堂:1867(慶応3)年に再建復興。1974(昭和49)年改造。元三大師の生前の名は良源(919~985年)と称し、荒廃していた比叡山諸堂復興の功績で比叡山中興の祖とされる。元月三日(一月三日)に入滅したことから元三大師の名が追贈された。近世においては、元三大師堂が深大寺の信仰の中心であった。「江戸名所図会」によれば、月2回の護摩供の修行がある日には、「近郷の人群参せり」としているほどだった。「だるま市」も元三大師堂の大祭。
*5 銅造釈迦如来倚像:飛鳥時代後期(白鳳期)の作。螺髪(らほつ)がなく、台に腰かけた清楚でのびやかな白鳳仏である。関東の白鳳仏は深大寺以外に、千葉県安食(あじき)の竜角寺にある。深大寺釈迦如来像は開創時の本尊といわれている。現在は1976(昭和51)年に建てられた釈迦堂に安置されている。また、銘文に南北朝時代の1376(永和2)年の鋳造とある国の重要文化財である梵鐘も収められている。
*6 深沙(じんじや)大王堂:1968(昭和43)年再建。深大寺の開創縁起にかかわる泉が堂の裏手にある。明治期の神仏分離令までは鳥居もあったという。堂内には江戸初期に再建された秘仏・深沙大王像を奉安する厨子が安置されている。
*7 深大寺そば:すでに1751(寛延4)年に発行された「蕎麦全書」にその名が見え、江戸後期の「新編武蔵国風土記稿」には「當國(当国)ノ内イツレノ地ニモ蕎麦ヲ種へサルコトナケレトモ(どこの場所でも植えないことはないが)其品當(当)所ノ産ニ及フモノナシ 故ニ世ニ深大寺蕎麦ト稱(称)シテソノ味ヒ(あじわい)極メテ絶品ト稱(称)セリ」と称賛されている。同じ時期の「江戸名所図会」にも見開き挿絵に「當(当)寺の名産申して味ひ(あじわい)尤(もっとも)佳なり 都下に称して深大寺蕎麦といふ」と添え書きがなされている。
*8 だるま市:元三大師堂の大祭には大護摩供が行われ、門前や境内には大小数えきれないほどのだるまが並べられる。近郊の農民が副業に作っただるまを大祭の市で売ったのが始まりで、江戸初期に天海僧正の奨励で盛んになったという。当日はだるまのほか縁日風の出店が並び、多くの人々が開運の縁起をかついでだるまを買い求める。
*2 山門:幕末の火災で堂宇のほとんどが焼失したが、山門はそのまま遺った。1695(元禄8)年に普請が行われたという棟札が遺る。
*3 本堂:幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は再建した庫裡に安置されていたが、1919(大正8)年に現在の本堂が竣工し、元に戻された。この時に寄棟造・茅葺から入母屋造の棧瓦葺となった。2003(平成15)年には大屋根大改修工事を行っている。
*4 元三(がんさん)大師堂:1867(慶応3)年に再建復興。1974(昭和49)年改造。元三大師の生前の名は良源(919~985年)と称し、荒廃していた比叡山諸堂復興の功績で比叡山中興の祖とされる。元月三日(一月三日)に入滅したことから元三大師の名が追贈された。近世においては、元三大師堂が深大寺の信仰の中心であった。「江戸名所図会」によれば、月2回の護摩供の修行がある日には、「近郷の人群参せり」としているほどだった。「だるま市」も元三大師堂の大祭。
*5 銅造釈迦如来倚像:飛鳥時代後期(白鳳期)の作。螺髪(らほつ)がなく、台に腰かけた清楚でのびやかな白鳳仏である。関東の白鳳仏は深大寺以外に、千葉県安食(あじき)の竜角寺にある。深大寺釈迦如来像は開創時の本尊といわれている。現在は1976(昭和51)年に建てられた釈迦堂に安置されている。また、銘文に南北朝時代の1376(永和2)年の鋳造とある国の重要文化財である梵鐘も収められている。
*6 深沙(じんじや)大王堂:1968(昭和43)年再建。深大寺の開創縁起にかかわる泉が堂の裏手にある。明治期の神仏分離令までは鳥居もあったという。堂内には江戸初期に再建された秘仏・深沙大王像を奉安する厨子が安置されている。
*7 深大寺そば:すでに1751(寛延4)年に発行された「蕎麦全書」にその名が見え、江戸後期の「新編武蔵国風土記稿」には「當國(当国)ノ内イツレノ地ニモ蕎麦ヲ種へサルコトナケレトモ(どこの場所でも植えないことはないが)其品當(当)所ノ産ニ及フモノナシ 故ニ世ニ深大寺蕎麦ト稱(称)シテソノ味ヒ(あじわい)極メテ絶品ト稱(称)セリ」と称賛されている。同じ時期の「江戸名所図会」にも見開き挿絵に「當(当)寺の名産申して味ひ(あじわい)尤(もっとも)佳なり 都下に称して深大寺蕎麦といふ」と添え書きがなされている。
*8 だるま市:元三大師堂の大祭には大護摩供が行われ、門前や境内には大小数えきれないほどのだるまが並べられる。近郊の農民が副業に作っただるまを大祭の市で売ったのが始まりで、江戸初期に天海僧正の奨励で盛んになったという。当日はだるまのほか縁日風の出店が並び、多くの人々が開運の縁起をかついでだるまを買い求める。
関連リンク | 深大寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
深大寺(WEBサイト) 「『深大寺縁起絵巻』 における深沙大王説話とその絵画的継承―縁起形成の近世的在り方への一考察-」鈴木堅弘 京都精華大学紀要 「続群書類従 28下(釈家部) 長弁私案抄」107頁 八木書店 「江戸叢書 12巻 巻の四 遊_雜記 巻の中」大正5年 157/309 国立国会図書館デジタルコレクション 「江戸名所図会 7巻 [9]」183から1836年 26~31/46 国立国会図書館デジタルコレクション |
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