池上本門寺
東急池上線池上駅から総門まで北へ600m。池上台地上に広大な寺域を構え、総門から石段*1を上ると、大堂*2・五重塔*3・鐘楼・経蔵・多宝塔*4・本殿・本院など10指に余る堂塔が建っている。かつては関東随一の七堂伽藍を誇っていたが、1945(昭和20)年4月の空襲でその多くを焼失したため、総門・五重塔・経蔵・多宝塔などのほかはすべて戦後の再建である。本殿北側には、日蓮聖人廟所や歴代聖人廟所があり、池泉回遊式庭園松濤園*5もある。
創建は当地で日蓮が入滅したことに大きく関わっている。日蓮は病気療養のため、身延山(山梨県身延町)から常陸の湯(茨城県水戸市)に向かう途中、池上の郷主で日蓮に深く帰依していた池上右衛門太夫宗仲の館*6(現在の大坊本行寺)で、1282(弘安5)年10月13日に入滅した。そののち、池上宗仲は法華経の字数(69,384字)に合わせて約7万坪の寺域を寄進し、これを日蓮六老僧のひとり日朗に付与して入滅の霊跡とし、伽藍堂宇の整備したのが始まりである。1288(正応元)年には、現在、大堂に奉安されている木造日蓮聖人坐像が造立されている。
御廟所の左右には日朗はじめ歴代住職の墓、池上宗仲夫妻の墓が立ち、また、境内の墓地には著名人の墓も多くある。境内の東側は公園になっており、サクラの木が多い。
日蓮が入滅した10月13日を中心に11~13日には御会式*7が営まれる。
創建は当地で日蓮が入滅したことに大きく関わっている。日蓮は病気療養のため、身延山(山梨県身延町)から常陸の湯(茨城県水戸市)に向かう途中、池上の郷主で日蓮に深く帰依していた池上右衛門太夫宗仲の館*6(現在の大坊本行寺)で、1282(弘安5)年10月13日に入滅した。そののち、池上宗仲は法華経の字数(69,384字)に合わせて約7万坪の寺域を寄進し、これを日蓮六老僧のひとり日朗に付与して入滅の霊跡とし、伽藍堂宇の整備したのが始まりである。1288(正応元)年には、現在、大堂に奉安されている木造日蓮聖人坐像が造立されている。
御廟所の左右には日朗はじめ歴代住職の墓、池上宗仲夫妻の墓が立ち、また、境内の墓地には著名人の墓も多くある。境内の東側は公園になっており、サクラの木が多い。
日蓮が入滅した10月13日を中心に11~13日には御会式*7が営まれる。

みどころ
江戸後期に描かれた歌川広重の「江戸近郊八景 池上晩鐘」は池上本門寺の前を通る平間街道から、本門寺を見上げた構図だが、当時から門前の家並みは繁華で、こんもりとした境内の森が美しく、そのなかから大堂や五重塔が垣間見え、大寺の風格がよく表現されている。現在はというと、門前はかつての坊院が多少残るものの、主にマンションや住宅が並んでいるだけで、かつての風情はない。しかし、境内の森は貴重な緑を提供し、参道の石段を覆っている。総門をくぐり、96段の石段を登ると仁王門、大堂と再建された堂宇だが、往時を思わせる偉観を見せてくれる。みどころは、仁王門の右手、墓所に接してある五重塔と大堂の左手奥一段下がったところにある多宝塔であろう。五重塔は、一見、ひょろっとしてスマートにみえるが、江戸初期に建立されて以来、多くの地震に耐えてきた構造の強度を考えると感慨深いものがある。蟇股などにある十二支の装飾彫刻にも注目したい。多宝塔は、こちらも墓所に囲まれているが、平成に修復されているので、漆の朱色が鮮やか。宝形の屋根を支える垂木、組物の装飾彫刻は、鳥害防止の網が張られてはいるものの、じっくり見たい。多宝塔の手前から石段と坂を下ったところには日蓮が入滅した地である大坊本行寺がある。

補足情報
*1 石段:正面の石段で96段ある。『妙法蓮華経』見宝塔品第十一、此経難持の偈文の数で築かれ、慶長年間(1596~1615)に加藤清正が寄進した。
*2 大堂:入母屋造、本瓦葺、鉄筋コンクリート建築の壮大な堂宇である。堂内に安置されている日蓮聖人坐像は像高84.4cm、日蓮生前の威厳を感じさせる端正な鎌倉像である。
*3 五重塔:1607(慶長12)年2代将軍徳川秀忠が、乳母正心院の発願で建立。高さ29m、方3間、初層が和様、2層以上が唐様の桃山建築で、1、2層は本瓦葺、3層以上は瓦棒銅板葺。関東では最古の塔である。
*4 多宝塔:1828(文政11)年造立。屋根は宝形造瓦棒銅板葺き。上下層とも円形の平面をもつ木造の仏塔で、木造で内部空間を持つ宝塔は珍しく、この例の宝塔としては国内最大規模。
*5 松濤園:太平洋戦争で焼失し、荒れるままになっていた庭園が1991(平成3)年に修復された。約1万m2の敷地の中央に池を配した回遊式庭園で、江戸初期の小堀遠州の作庭といわれている。「西郷・勝両雄会見処」碑が立ち、茶室もある。
*6 池上右衛門太夫宗仲の館:当寺に伝わる縁起や江戸後期の「江戸名所図会」では、すでに1274(文永11)年には、館内に法華道場を建立されており、これに対し日蓮から「長栄山本門寺」の山号寺号を与えられたという説話も記されている。
*7 御会式:10月12日の御逮夜(おたいや 忌日の前夜)には、万灯錬供養として、門前約2kmにわたり約百講中、約3,000人もの万灯練り行列が練り歩く。
*2 大堂:入母屋造、本瓦葺、鉄筋コンクリート建築の壮大な堂宇である。堂内に安置されている日蓮聖人坐像は像高84.4cm、日蓮生前の威厳を感じさせる端正な鎌倉像である。
*3 五重塔:1607(慶長12)年2代将軍徳川秀忠が、乳母正心院の発願で建立。高さ29m、方3間、初層が和様、2層以上が唐様の桃山建築で、1、2層は本瓦葺、3層以上は瓦棒銅板葺。関東では最古の塔である。
*4 多宝塔:1828(文政11)年造立。屋根は宝形造瓦棒銅板葺き。上下層とも円形の平面をもつ木造の仏塔で、木造で内部空間を持つ宝塔は珍しく、この例の宝塔としては国内最大規模。
*5 松濤園:太平洋戦争で焼失し、荒れるままになっていた庭園が1991(平成3)年に修復された。約1万m2の敷地の中央に池を配した回遊式庭園で、江戸初期の小堀遠州の作庭といわれている。「西郷・勝両雄会見処」碑が立ち、茶室もある。
*6 池上右衛門太夫宗仲の館:当寺に伝わる縁起や江戸後期の「江戸名所図会」では、すでに1274(文永11)年には、館内に法華道場を建立されており、これに対し日蓮から「長栄山本門寺」の山号寺号を与えられたという説話も記されている。
*7 御会式:10月12日の御逮夜(おたいや 忌日の前夜)には、万灯錬供養として、門前約2kmにわたり約百講中、約3,000人もの万灯練り行列が練り歩く。
2025年06月現在
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