山王祭
東京メトロ赤坂駅または溜池山王駅近くにある日枝神社*の例祭。なかでも神幸祭は、同社が徳川家の産土神であったことから、3代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭」として盛大を極めた。神幸祭では、鳳輦(ほうれん)*が渡御する神幸行列が江戸城内にも練り込み、将軍が親拝した。
祭の起源については、不詳ではあるが、江戸後期の「東都歳時記」には「元和年中(元和元[1615]年と推定される)より(江戸)城内へ入る事なり」としていることから、それ以前からなんらかの祭事(船渡御等)が催されていた思われ、さらに「寛永十一(1634)年より大祭となり天和の頃(天和元[1691]年と推定される)より隔年」に行われるようになったとし、神幸行列が行われる神幸祭(本祭)は隔年で神田祭と交互に行うことになったといわれる。
現在は山王祭の神祭事や奉祝行事は6月7日~17日の間催されるが、神幸行列や神輿渡御がある神幸祭(本祭)は、その期間中の金曜日から日曜日にかけ、隔年で行われる。
金曜日に行われる神幸行列の巡幸は、午前8時頃、鳳輦2基・宮神輿1基・山車6基をはじめ総勢500名による300mの祭礼行列が、日枝神社を出発し皇居の西側を時計周りに周回する。坂下門では、駐輦祭や宮司以下神社役員による神符の献上が行われ、さらに丸の内、御旅所の日本橋日枝神社(摂社)、京橋、銀座、新橋と巡幸し、夕方日枝神社に還御する。
土曜日の夕方には上町連合の神輿の宮入が行われ、3台の山車と10基の神輿が男坂を勇壮にかけあがる。日曜日には、午前9時過ぎにまず日本橋日枝神社において神輿6基の宮出しが行われ、八丁堀で4基が合流し、計10基となって八丁堀駅近くまで練り歩く。昼には、京橋近くに山車や神輿17基が集結し、神職を先頭に中央通りを日本橋まで向かう。日本橋の手前では鳶頭が「木遣り」で先導し、日本橋においては神田神社の氏子が高提灯で迎える。
祭の起源については、不詳ではあるが、江戸後期の「東都歳時記」には「元和年中(元和元[1615]年と推定される)より(江戸)城内へ入る事なり」としていることから、それ以前からなんらかの祭事(船渡御等)が催されていた思われ、さらに「寛永十一(1634)年より大祭となり天和の頃(天和元[1691]年と推定される)より隔年」に行われるようになったとし、神幸行列が行われる神幸祭(本祭)は隔年で神田祭と交互に行うことになったといわれる。
現在は山王祭の神祭事や奉祝行事は6月7日~17日の間催されるが、神幸行列や神輿渡御がある神幸祭(本祭)は、その期間中の金曜日から日曜日にかけ、隔年で行われる。
金曜日に行われる神幸行列の巡幸は、午前8時頃、鳳輦2基・宮神輿1基・山車6基をはじめ総勢500名による300mの祭礼行列が、日枝神社を出発し皇居の西側を時計周りに周回する。坂下門では、駐輦祭や宮司以下神社役員による神符の献上が行われ、さらに丸の内、御旅所の日本橋日枝神社(摂社)、京橋、銀座、新橋と巡幸し、夕方日枝神社に還御する。
土曜日の夕方には上町連合の神輿の宮入が行われ、3台の山車と10基の神輿が男坂を勇壮にかけあがる。日曜日には、午前9時過ぎにまず日本橋日枝神社において神輿6基の宮出しが行われ、八丁堀で4基が合流し、計10基となって八丁堀駅近くまで練り歩く。昼には、京橋近くに山車や神輿17基が集結し、神職を先頭に中央通りを日本橋まで向かう。日本橋の手前では鳶頭が「木遣り」で先導し、日本橋においては神田神社の氏子が高提灯で迎える。

みどころ
江戸後期の地誌「江戸名所図会」では日枝神社から3基の神輿の神幸があり、「其行装榊大幣、菅蓋(かんがい 傘)、錦蓋(きんがい 神体に掻ける絹布)雲の如く、社司社僧は騎馬に跨り、あるいは輿に乗じ、前後に扈従す…中略…氏子の町々よりは、思ひ思ひに練物、あるひは花屋臺(台)車樂(だんじり)等に、金襴緞子抔(など)のまん幕を打はへ、各其出立(いでたち)花やかに、羅綾(らりょう 薄衣と綾織)の袂(たもと)錦_の裔(すそ)をひるがへし、粧ひ巍々堂々として、善美を盡(尽)せり」としていかにも華やかの祭りの雰囲気を伝えている。そして「實(まこと)に大江戸第一の大祀にして、一時の壮觀たり」と規模の大きさにも触れている。これは江戸末期の「山王祭之図」にも描かれており、決して誇張ではないことが分かる。
現在も江戸時代の神幸行列とまでは行かないものの、都心部で総勢500人からなる華やかな王朝絵巻が見られるので、事前に巡幸のコースを確認しておくと良い。また、土曜・日曜に麹町地区と日本橋地区で開催される神輿の渡御も神輿や山車が出て盛り上がりを見せるので、東京都心の観光を楽しみながら、見物するのもよいだろう。
現在も江戸時代の神幸行列とまでは行かないものの、都心部で総勢500人からなる華やかな王朝絵巻が見られるので、事前に巡幸のコースを確認しておくと良い。また、土曜・日曜に麹町地区と日本橋地区で開催される神輿の渡御も神輿や山車が出て盛り上がりを見せるので、東京都心の観光を楽しみながら、見物するのもよいだろう。

補足情報
*日枝神社:同社の創始については1960年の千代田区史によると、14世紀末までには「江戸の山王は、江戸氏が、江戸庄の守護神として、江戸庄の本家である法住寺新日枝社(現・京都市東山区)を居館近くに奉祀」したのではないかとして、太田道灌が1478(文明10)年に川越の山王権現より江戸城内に勧請したという説より、遡るのではないかとしている。徳川家康が江戸を開府する以前には「平河口にちかい梅林坂」(現・皇居東御苑平河門近く)にあった伝えられ、徳川家が江戸城を居城とした後には西の丸の紅葉山に遷したともしている。さらに明暦3年(1657)の大火のため社殿が炎上したことから現在地に遷座した。こうした経緯から徳川家は江戸城の鎮守の社、徳川家の産土神として、崇敬し保護したため、江戸の貴庶からも崇敬が篤かった。江戸時代には「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」「麹町山王」などと称されていた。明治に入り、神仏分離により、現在の社号「日枝神社」となった。
*鳳輦:天皇が行幸の際に座乗する専用の乗り物のこと。屋形の屋根の上部に鳳凰像を飾り、前面と側面に御簾などをかけたもので、全体は黒漆塗り。
*鳳輦:天皇が行幸の際に座乗する専用の乗り物のこと。屋形の屋根の上部に鳳凰像を飾り、前面と側面に御簾などをかけたもので、全体は黒漆塗り。
2025年06月現在
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