ニコライ堂(東京復活大聖堂)
JR御茶ノ水駅の南にあるドーム型の屋根の建物がニコライ堂。正式には日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂という。東方正教会*の大主教聖ニコライ*によって1884(明治17)年から建設に着手され、7年後の1891(明治24)年に竣工したもので、以来、ニコライ堂の名で呼ばれてきた。建物はロシア工科大学教授ミハイル・シチュールポフと建築家のジョサイア・コンドル*が設計した煉瓦造・石造の建物。建築面積は建築面積813.4m2。平面はビザンチン様式のギリシャ十字形をしており、中央ドームの高さは約35m、ほかに尖塔状の鐘楼がついている。現在の建物は1923(大正12)年の関東大震災によって鐘楼が倒壊したため、1929(昭和4)年に修復したもの。
一般の拝観は月曜日を除く13時~16時(4月1日~9月30日、なお、10月1日~3月31日は15時30分まで)、拝観献金あり。詳細はホームページを確認。
一般の拝観は月曜日を除く13時~16時(4月1日~9月30日、なお、10月1日~3月31日は15時30分まで)、拝観献金あり。詳細はホームページを確認。

みどころ
現在は周囲に高層のビルが建ち並び、さほど大きくは感じないが、教会の門前に立つとドーム型の屋根の大聖堂には、圧倒される荘厳さがあり、屋根の天辺に取り付けられた十字架の輝きが美しい。聖堂内に入り進むと、一般信者が祈りをささげる場である聖所の広間がある。その聖所の中央に司祭が祈る主教座(カテドラル)があり、聖堂の中央奥の壁の先が、聖人が祀られているイコノスタス(至聖所)となる。その壁には金と白金箔で彩られた聖人たちのイコン(板絵の聖像画)が掲げられている。聖所の左右にある縦長の大きな窓はステンドグラスになっており、多彩な色合いであるが、落ち着いた色調の光が射し込んでいる。信者でなくとくとも、拝観者を敬虔な気持ちにしてくれ、心に静穏さを与えてくれる。

補足情報
*東方正教会:東方正教会は、ギリシャ正教、または単に正教会とも呼ばれ、ローマ・カトリック教会やプロテスタントなどの教会が西欧を中心に広がったのに対し、キリスト教が生まれた中近東を中心に、ギリシャ、東欧から、ロシアへ広がった。「ハリストス」はキリストのギリシャ語読みである。
*聖ニコライ:1836~1912年。1861年、函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日。日本語と日本文化を積極的に修得し、ニコライ堂をはじめ、全国各地に聖堂を建設。1970年に日本の亜使徒、大主教ニコライとして聖人とされた。
*ジョサイア・コンドル Josiah Conder:1852~1920年。イギリス人。ロンドン大学で設計を学び、1877(明治10)年に来日。東京に建築事務所を設け、日本の洋風建築に大きな影響を与えた。鹿鳴館、岩崎邸などが代表作である。
*聖ニコライ:1836~1912年。1861年、函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日。日本語と日本文化を積極的に修得し、ニコライ堂をはじめ、全国各地に聖堂を建設。1970年に日本の亜使徒、大主教ニコライとして聖人とされた。
*ジョサイア・コンドル Josiah Conder:1852~1920年。イギリス人。ロンドン大学で設計を学び、1877(明治10)年に来日。東京に建築事務所を設け、日本の洋風建築に大きな影響を与えた。鹿鳴館、岩崎邸などが代表作である。
関連リンク | 東京復活大聖堂(ニコライ堂)(日本ハリストス正教会教団)(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
東京復活大聖堂(ニコライ堂)(日本ハリストス正教会教団)(WEBサイト) 文化遺産オンライン(文化庁)日本ハリストス正教会教団復活大聖堂 (ニコライ堂)(WEBサイト) 日本正教会(WEBサイト) 「ようこそ!東京復活大聖堂へ!」拝観者用パンフレット |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。