武蔵御嶽神社むさしみたけじんじゃ

JR御嶽駅から御岳山ケーブルカー滝本駅まで南西へ2.8km、ケーブルカーで御嶽山駅まで登り、さらに参道を約2.2km(徒歩30分ほど)進んだ御岳山(標高929m)の山上に建つ。門前の鳥居前広場から社殿までは約330段の石段になっている(石段のない女坂もある)。滝本から門前までの参道は、通行許可車両しか通行できない。神社周辺の山々では古くから、円錐形が特徴的な奥の院(標高1077m 同社摂社男具那社が鎮座)や御岳山などを対象として山岳信仰が盛んであったという。
 社伝では、起源は神代の崇神天皇7年と伝え、奈良時代には密教と結びついて神仏習合の修験道の中心地となり、736(天平8)年に僧行基が金剛蔵王権現像を安置したと伝えられている。927(延長5)年に撰進された延喜式において、式内社として同社だと同定されている「大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみやしろ)*1」の記載があり、これより以前から広く知られた社であったことは確かである。そのため、日本武尊伝説*2や神社の創始に関する多くの神話や伝承が伝わっている。
 中世以後は「金峰山御嶽蔵王権現*3」と称され、関東の蔵王信仰の中心として栄えた。とくに農耕の神として名高く、近世になると御師*4によって信者は講として組織化され、山上には参詣者をもてなす御師の営む多くの宿坊が立ち並ぶ霊場となった。徳川幕府も社殿を寄進し、江戸城の西の護りとして保護した。明治に入り、神仏分離令によって「御嶽蔵王権現」から「御嶽神社」、1952(昭和27)年に「武蔵御嶽神社」と改められた。ケーブル*5の架設とともに観光地化したが、今も太占(ふとまに)*6の神事やおいぬ様信仰*7などが続いている。神明造の本殿と入母屋造の拝殿・幣殿が山頂に立ち、宝物殿では、赤糸威(あかいとおどしの)大鎧*8など国宝類が納められ、一般に公開している。
 櫛真智命(くしまちのみこと 占いや智恵の神)を主祭神、大己貴命・少彦名命・廣國押武金日命を相殿神とし、合わせて御嶽大神(みたけおおかみ)としている。
 御岳山の周辺の奥の院、大岳山(標高1266m)などをはじめ修験道の行場でもあったため、現在もそれを巡るトレッキングコース*9が設定されている。ただ、いずれも険しい山道なので、登山の装備をしっかり整えておく必要がある。
 なお、御嶽山駅前広場(御岳平)から、産安社*10、カタクリやレンゲショウマの群生地がある富士峰園地へのリフト*11(大展望台行き)もある。
#

みどころ

御嶽山駅から山の中腹を巻くように歩くと、前方に宿坊群が樹間から見えてくる。宿坊群の御師集落に入る手前にはビジターセンターがあるので、情報を収集しながら一休みするのもよい。さらに御師集落の中を進むと、参道は急坂になり、その途中では神代けやきの大木に出合うことができる。それを過ぎると土産物店などが並ぶ門前となり、鳥居前広場に辿り着く。そこから330段の折れ曲がった石段を登ったところが、拝殿・本殿などがある御岳山の山上となる。
 参道や石段の各所に講の登拝記念の石碑が立ち並ぶのも面白い。最後の石段を登ると、朱塗りが鮮やかな拝殿が迎えてくれる。振り返れば、日の出山はもとより、あきる野、多摩川方面を眺望でき、清涼な山風が頬にあたり気持ち良い。拝殿・本殿の裏手に回れば、奥の院の遥拝所があり、三角錐の山容は確かに信仰の対象となるだろうと納得できる。さらに本殿の裏手には末社摂社が並ぶが、そのなかでも常磐堅磐社(ときはかきはしゃ)は1511(永正8)年に建立された御嶽神社の旧本殿であったもの。明治期の神仏分離令に対応し、1877(明治10)年に現在の本殿に建て替えられるのに際して移築された。全国の一宮のご祭神が祀られているので、参拝しておきたい。2021(令和3)年に漆が塗り替えられたこともあって、黒漆を基調にするなかで彫り物の鮮やかな彩色が美しい。
#

補足情報

*1 大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみやしろ):延喜式の神名帳に記載のある社号であり、この山の地主神だったとされる。文化・文政期(1804~1829年)の地誌「新編武蔵風土記稿」では末社の「地主社」として「本社ノ後ニアリ延喜式神名帳ニ出セル大麻止乃天神ニシテ神明ヲ配祀セリトイヘリ サレハ最古キ神ニテ御嶽ノ鎮座以前ヨリノ神ナルコトニヨリ地主トハナルへシ」としている。現在は神明社(祭神・天照皇大御神)として本殿裏に鎮座している。
*2 日本武尊伝説:「新編武蔵風土記稿」は社伝を引いて、日本武尊が東征夷征伐で御岳山に陣営を構え、西北に向け険阻を越えようと、現在の奥の院峰辺りで「深山ノ邪神大ナル白鹿ト化シテ道路ヲフサキケル尊(日本武尊)太占(ふとまに 占い)ヲ以山鬼ナルコトヲシリ給ヒ」、山蒜(のびる 薬用植物)を白鹿の顔を投げつけたという。それが目にあたって白鹿は倒れたが、山谷は鳴動して雲霧は発生し群臣が道に迷ったところ忽然として「白狼アラハシ前駆シテ西北ニ導キマイラセケリ」という伝承を紹介している。また、奥の院峰は、かつては甲籠山とも呼ばれたが、同書では「日本武尊ノ武器ヲ蔵メ給フ處ナリト云伝ヘリ」としている。
*3 金峰山御嶽蔵王権現:役行者(えんのぎょうじゃ)が自然崇拝の山岳信仰に、渡来した道教・陰陽道や仏教を取り入れ、実践的な修法を行ったといわれている。672(天武天皇元)年には、金剛蔵王大権現を感得し、蔵王堂を金峯山(奈良県吉野山・大峰山)に開き、全国に広まった。
 武蔵御嶽神社への勧請の時期は、社伝では行基によるものだが、佐藤虎雄によると、同社の縁起などを分析し「恐らくは中世修験の徒が入山して堂舎を建て、蔵王権現像を安置したものであろう」としている。さらに、建久年間(1190~99年)には兵火で焼かれたが、建長年間(1249~56年)に大中臣国兼によって「宝殿造営にかかり、金銅蔵王像を鋳造した。かくして八尺の宝殿が建ち、四面に瑞籬(垣)を構えた」としている。おそらく、この時期までには御嶽権現は確立されていただろうと考えられる。
*4 御師:「おし」または「おんし」。信者の神への祈願の仲立ちをする下級神官。伊勢神宮の御師(おんし)が最も知られているが、熊野の御師(おし)はそれより早く出現しており、白山・富士浅間・羽黒、御嶽など各地の社寺に広まった。御師は参詣者に対し、地方に講を組織して、祈願の仲立ちだけでなく、宿泊のほか、祈祷・奉幣・神楽奉納・守札の発行など多岐にわたり世話をした。
*5 ケーブル:麓の滝本駅(標高407m)から御岳山駅(標高831m)まで標高差424mを結ぶケーブルカー。所要時間6分。平日は20分から30分間隔で運行し、週末、祝祭日、混雑時は増便される。
*6 太占(ふとまに):鹿の肩骨を焼いて、その年の農作物の豊凶を占う。一般公開されないが、結果表として配られる。
*7 おいぬ様信仰:日本武尊伝説に基づき、神社では厄除けに門前にはる狼(山犬)のお札を出している。ケーブルカーはペットのイヌも同乗でき、山上には参拝ついでにイヌの散歩をする姿も多く見られる。おいぬ様信仰は秩父の三峰神社でも盛ん。
*8 赤糸威大鎧:畠山重忠が奉納したものといわれ、植物のアカネの汁で染めた赤糸の色が今も鮮やかである。宝物館の開館は土、日、祝祭日のみ。
*9 トレッキングコース:東京都御岳ビジターセンターのお勧めのコースには、大塚山往復コース、ロックガーデン一周コース、日の出山往復コース、大岳山往復コースなどがある。一部のコースには鎖場や岩場などの難所もあるので、登山に相応しい準備が必要だ。同ビジターセンターはケーブルの御岳山駅から御嶽神社への参道沿いにあるので、事前に立ち寄り山道の情報を仕入れることをお勧めする。
*10 産安社:御嶽神社の摂社。神社の北側の高みにある富士峰園地に鎮座している。子授け、安産の神として木花開耶比咩命、石長比女命、気長足比咩命(神功皇后)が祀られている。
*11 リフト:御岳平(御岳山駅)~大展望台(富士峰園地)。所要時間2分。