殿ヶ谷戸庭園(随冝園)
JR国分寺駅から徒歩2分に立地する歴史ある庭園である。大正初期に三菱合資会社の江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘*として整備され、当時は随宜園(ずいぎえん)と名付けられていた。1929(昭和4)年に三菱財閥の岩崎彦彌太(ひこやた)*が買収して岩崎家の殿ヶ谷戸別邸となり、1934(昭和9)年に本館建物や回遊式の庭園が完成した。
三菱財閥が解体された戦後、1962(昭和37)年に公園として整備する都市計画決定がなされたものの、これを解除して商業地開発をする動きが出たため、自然を守るための住民運動が起こった。これを受けて1974(昭和49)年に東京都が敷地を買収し、1979(昭和54)年に有料庭園として開園した。
岩崎家別邸時代は33,000m2であったが、現在の庭園は18,000m2の広さで、隣接して3,000m2の児童公園がある。武蔵野台地の国分寺崖線*がもたらす高低差と、そこからの豊富な湧水を巧みに生かして築かれた和洋折衷の回遊式林泉庭園である。主屋の設計を手がけたのは岩崎家の技師、津田鑿(つださく)である。崖下の次郎弁天池と日本庭園は、高橋是清邸庭園や八芳園(はっぽうえん)の庭園などを手がけた庭師、仙谷荘太郎の作庭によるもの。
武蔵野の植生を生かして杉やモッコクなど多種の樹木や野草が植えられ、野鳥も多い。新緑・紅葉期の美しさが魅力である。2011(平成23)年に国の名勝に指定された。
三菱財閥が解体された戦後、1962(昭和37)年に公園として整備する都市計画決定がなされたものの、これを解除して商業地開発をする動きが出たため、自然を守るための住民運動が起こった。これを受けて1974(昭和49)年に東京都が敷地を買収し、1979(昭和54)年に有料庭園として開園した。
岩崎家別邸時代は33,000m2であったが、現在の庭園は18,000m2の広さで、隣接して3,000m2の児童公園がある。武蔵野台地の国分寺崖線*がもたらす高低差と、そこからの豊富な湧水を巧みに生かして築かれた和洋折衷の回遊式林泉庭園である。主屋の設計を手がけたのは岩崎家の技師、津田鑿(つださく)である。崖下の次郎弁天池と日本庭園は、高橋是清邸庭園や八芳園(はっぽうえん)の庭園などを手がけた庭師、仙谷荘太郎の作庭によるもの。
武蔵野の植生を生かして杉やモッコクなど多種の樹木や野草が植えられ、野鳥も多い。新緑・紅葉期の美しさが魅力である。2011(平成23)年に国の名勝に指定された。

みどころ
崖の上の明るい西洋庭園の芝生地・梅林から、崖線の斜面に植えられた孟宗竹の林を経て崖下に至ると、湧水池、樹林で雰囲気が一変する廻遊が見どころの一つである。崖からの湧水により清水が保たれている次郎弁天池(じろうべんてんいけ)を見下ろす樹林には、岩崎別邸時代に紅葉亭と名付けられた数寄屋作りの茶室がある。ここからは新緑やイロハモミジの紅葉を楽しむことができ、現在でも句会や茶会の場として使われている。
斜面上の西洋庭園には、四季折々の花を楽しめる花木園、岩崎家時代から存在する古い藤蔓が作る藤棚、秋には紫の花で覆われる萩のトンネルなど、花を愛でながら散策する楽しみがある。また、芝生園地の最上部には、一部のみが現存している岩崎家別荘の建物があり、現在は殿ヶ谷戸庭園の自然と歴史の資料館となっている。
ゆっくりと散策しても1時間ほどで見て回れる庭園なので、花の時期を選んで楽しんでみると良いだろう。
斜面上の西洋庭園には、四季折々の花を楽しめる花木園、岩崎家時代から存在する古い藤蔓が作る藤棚、秋には紫の花で覆われる萩のトンネルなど、花を愛でながら散策する楽しみがある。また、芝生園地の最上部には、一部のみが現存している岩崎家別荘の建物があり、現在は殿ヶ谷戸庭園の自然と歴史の資料館となっている。
ゆっくりと散策しても1時間ほどで見て回れる庭園なので、花の時期を選んで楽しんでみると良いだろう。

補足情報
*別荘:江戸から明治時代の東京市の別荘地は、隅田川・江戸川沿いの海浜部や市内の高台(山の手)が中心であったが、鉄道の開通により東京市内から利便性が高まったことで、明治末~大正初期にかけて自然が豊かな武蔵野地域が別荘地として注目された。1916(大正5)年頃から実業家の別荘開発が始まり、1923(大正12)年の関東大震災により東京市内から移住する人々が増加した。
*岩崎彦彌太(1895~1967):三菱財閥創始者の岩崎弥太郎から2世代後の三菱財閥の一員である。三菱合資会社の副社長及び多数のグループ企業の役員を歴任し、いずれは財閥当主となる見込みであったが、戦後の財閥解体により全ての役職を辞任した。
*国分寺崖線:立川市から大田区まで約30kmにわたる河岸段丘の連なり。このうち武蔵野台地では武蔵野段丘と立川段丘の2つが発達し、殿ヶ谷戸庭園は武蔵野段丘の段丘崖に位置している。国分寺駅北の日立制作所敷地内から湧き出る野川が段丘を浸食して殿ヶ谷戸庭園の崖下を流れている。この流れによりできた谷状の地形は谷戸(谷、谷地、谷津とも言う)と言われ、これが殿ヶ谷戸の語源となっている。縄文時代からの稲作の遺跡も見つかっている。
*岩崎彦彌太(1895~1967):三菱財閥創始者の岩崎弥太郎から2世代後の三菱財閥の一員である。三菱合資会社の副社長及び多数のグループ企業の役員を歴任し、いずれは財閥当主となる見込みであったが、戦後の財閥解体により全ての役職を辞任した。
*国分寺崖線:立川市から大田区まで約30kmにわたる河岸段丘の連なり。このうち武蔵野台地では武蔵野段丘と立川段丘の2つが発達し、殿ヶ谷戸庭園は武蔵野段丘の段丘崖に位置している。国分寺駅北の日立制作所敷地内から湧き出る野川が段丘を浸食して殿ヶ谷戸庭園の崖下を流れている。この流れによりできた谷状の地形は谷戸(谷、谷地、谷津とも言う)と言われ、これが殿ヶ谷戸の語源となっている。縄文時代からの稲作の遺跡も見つかっている。
関連リンク | 公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 | 公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト) |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。