清澄庭園
都営地下鉄・東京メトロ清澄白河駅のA3出口から徒歩約3分、清澄通り沿いに広がる。
元禄年間(1688~1704)のころの江戸の豪商紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)*の屋敷があった場所と伝えられ、明治になって三菱の創始者岩崎弥太郎の別邸となった。弥太郎は社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、1880(明治13)年に「深川親睦園」として竣工した。弥太郎没後も弟の弥之助らにより庭園工事が続けられ、1891(明治24)年に日本館、西洋館を含めて完成を見た。隅田川の水を引いた池は大泉水*と呼ばれ、周囲には全国から取り寄せた名石を配する独特の庭園となった。関東大震災で壊滅状態となったが、1924(大正13)年、破損の少なかった東半分約5万m2を公園として東京市に寄付し、1932(昭和7)年に公開された。泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」であり、池畔には涼亭、大正記念館*が立つ。現在の清澄庭園の面積は37,434m2。
以前の庭園の西半分は1977(昭和52)年に無料開放され、庭園に隣接する清澄公園として開園した。ここには広場、パーゴラなどがある。
元禄年間(1688~1704)のころの江戸の豪商紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)*の屋敷があった場所と伝えられ、明治になって三菱の創始者岩崎弥太郎の別邸となった。弥太郎は社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、1880(明治13)年に「深川親睦園」として竣工した。弥太郎没後も弟の弥之助らにより庭園工事が続けられ、1891(明治24)年に日本館、西洋館を含めて完成を見た。隅田川の水を引いた池は大泉水*と呼ばれ、周囲には全国から取り寄せた名石を配する独特の庭園となった。関東大震災で壊滅状態となったが、1924(大正13)年、破損の少なかった東半分約5万m2を公園として東京市に寄付し、1932(昭和7)年に公開された。泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」であり、池畔には涼亭、大正記念館*が立つ。現在の清澄庭園の面積は37,434m2。
以前の庭園の西半分は1977(昭和52)年に無料開放され、庭園に隣接する清澄公園として開園した。ここには広場、パーゴラなどがある。

みどころ
佐渡赤玉石、伊豆石、紀州青石、生駒石、讃岐御影石などが庭石として園内に配置されており、それぞれ石のそばに名札がついているので分かりやすい。また敷石や橋、磯渡り、枯滝の石を含め、数多くの石が存在するのがこの園の最大の魅力である。
庭園の中央部にある大泉水には松島や鶴島、中の島の三つの中島があり、池の美しさを引き立たせている。特に鶴島は傾いた石を鶴の尾に、周囲の松を鶴の羽に見立てているものと思われる。
池の周囲には、巨石を飛び石のように並べて池を渡れるようにした磯渡り(沢渡り)が設けられており、歩を進めるたびに変化に富んだ池の景観が楽しめる。また、磯渡りをその手前や側面から見ると、近景の石の並びと遠景の涼亭や富士山、樹林の景観がバランスよく映え、磯渡りの石が池にアクセントを添えていることがわかる。
池の周辺には各種のカモ、カワウ、アオサギ、カワセミなどの野鳥が多く、特にカモが群れで休んでいる姿を見ることができる。
庭園の南側、出入り口の反対側の広場には松尾芭蕉*の有名な句「古池や かはず飛び込む 水の音」の句碑が立てられている。
また周辺には、「深川江戸資料館」が徒歩圏内にあり、庭園と合わせて訪れ、江戸時代に浸ることも一興である。その他「東京都現代美術館」などもある。
庭園の中央部にある大泉水には松島や鶴島、中の島の三つの中島があり、池の美しさを引き立たせている。特に鶴島は傾いた石を鶴の尾に、周囲の松を鶴の羽に見立てているものと思われる。
池の周囲には、巨石を飛び石のように並べて池を渡れるようにした磯渡り(沢渡り)が設けられており、歩を進めるたびに変化に富んだ池の景観が楽しめる。また、磯渡りをその手前や側面から見ると、近景の石の並びと遠景の涼亭や富士山、樹林の景観がバランスよく映え、磯渡りの石が池にアクセントを添えていることがわかる。
池の周辺には各種のカモ、カワウ、アオサギ、カワセミなどの野鳥が多く、特にカモが群れで休んでいる姿を見ることができる。
庭園の南側、出入り口の反対側の広場には松尾芭蕉*の有名な句「古池や かはず飛び込む 水の音」の句碑が立てられている。
また周辺には、「深川江戸資料館」が徒歩圏内にあり、庭園と合わせて訪れ、江戸時代に浸ることも一興である。その他「東京都現代美術館」などもある。

補足情報
*紀伊国屋文左衛門:元禄時代の豪商。生没年不詳。紀伊国の出身で、現在の和歌山県有田郡湯浅町別所の生まれと推定される。幕府の材木御用商人として活躍、巨富を積んだ。
*泉水:造園用語。自然の泉を利用するか、人工的に水を引いて、庭園や広場などに噴水、流水、落水、池などを設けたもの。
*大正記念館:門を入ってすぐ左にある数寄屋風の近代建築。1927(昭和2)年、新宿御苑で行われた大正天皇の御大葬に使用した葬場殿を移転したのが最初。この建物は戦災で焼失したため、1953(昭和28)年に貞明皇后の葬場殿の材料を利用して再建されたのが、老朽のため1989(平成元)年に建て替えられた。
*松尾芭蕉の句碑:松尾芭蕉1644(寛永21)年-1694(元禄7)年。生涯のなかで14年間を清澄庭園から600m程離れた深川の草庵で過ごし、この句を詠んだ。草庵周辺には敷地が狭かったのでこの地に1934(昭和9)年に建立された。
*泉水:造園用語。自然の泉を利用するか、人工的に水を引いて、庭園や広場などに噴水、流水、落水、池などを設けたもの。
*大正記念館:門を入ってすぐ左にある数寄屋風の近代建築。1927(昭和2)年、新宿御苑で行われた大正天皇の御大葬に使用した葬場殿を移転したのが最初。この建物は戦災で焼失したため、1953(昭和28)年に貞明皇后の葬場殿の材料を利用して再建されたのが、老朽のため1989(平成元)年に建て替えられた。
*松尾芭蕉の句碑:松尾芭蕉1644(寛永21)年-1694(元禄7)年。生涯のなかで14年間を清澄庭園から600m程離れた深川の草庵で過ごし、この句を詠んだ。草庵周辺には敷地が狭かったのでこの地に1934(昭和9)年に建立された。
関連リンク | 公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
公益財団法人東京都公園協会(WEBサイト) S-KOTO 江東区(WEBサイト) GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) 清澄庭園パンフレット 「江戸東京の庭園散歩」JTBパブリッシング |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。