小幡の町並みおばたのまちなみ

城下町小幡は、室町時代に小幡氏の拠城であった国峰城が築かれ、江戸時代に織田氏、松平二万石の陣屋町として栄えたところで、武家屋敷の町並みを今に残している。織田信長の次男信雄(のぶかつ)*が小幡に城下町を築く際に作られた庭園は楽山園として残されており、現在では当時の姿に復元された。
 小幡地区を南北に流れる雄川堰は、古くから住民の生活・農業用水、精米など多目的に利用されてきた用水路で、現在でもその姿を残している。
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みどころ

雄川堰は現在でも清流が流れ町民に利用されている。この堰の流れに沿って桜並木と古い町並みが続く。白壁の養蚕農家跡、古い建物を利用した観光案内所、お休み処信州屋、元呉服屋や元旅館などの木造建築、煉瓦造りの歴史民俗資料館などが所々に建っており、一部には武家屋敷や石積みなどから古い城下町の雰囲気が感じられる。
 特に桜の開花時期には、川の流れと古い町並みと桜が調和して感動的である。この桜開花時に、城下町小幡さくら祭り「武者行列」が行われ、鎧・甲冑に身を固めた戦国武将たちの行列の華やかな絵巻が楽しめる。
 町並みの先にある楽山園は、格調の高さが感じられ、木々に囲まれた借景とあわせて趣深い。
 織田信長を愛する人には、この地に子孫が移り、この町を美しく作り上げた姿に感慨をおぼえるだろう。(林 清)
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補足情報

*織田信雄(おだのぶかつ):織田信長の次男。本能寺の変のあと尾張・伊賀・南伊勢約100万石を相続した。その後江戸時代に入り、徳川家康から上野国甘楽郡などで5万石を与えられ領地に風雅な庭園楽山園を造る。以後8代にわたり当地を治め、7代までの墓が崇福寺の旧境内に並んで立っている。
関連リンク 甘楽町(WEBサイト)
参考文献 甘楽町(WEBサイト)
甘楽町(WEBサイト)

2020年04月現在

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