三夜沢赤城神社
県内外に散在する赤城神社約300社の総本社のひとつといわれる神社である。杉木立ちの中に、上野国二の宮*と称されるこの社がある。社伝によると、古代、豊城入彦の命の子孫である上毛野君という氏族の創祀といわれ、戦国時代には、上杉・北条・武田の3氏を始め各武将の崇敬を集め栄えた。
本殿・中門などは県の重要文化財。神社の北裏2kmほど登ったところに、古代祭祀の遺跡、櫃石がある。
境内には、1500年代に剣聖と呼ばれた上泉伊勢守*の木像と解説板が設置されている。
本殿・中門などは県の重要文化財。神社の北裏2kmほど登ったところに、古代祭祀の遺跡、櫃石がある。
境内には、1500年代に剣聖と呼ばれた上泉伊勢守*の木像と解説板が設置されている。
みどころ
境内にある「たわら杉」と呼ばれる松屋杉は樹高60mと群馬県内最大級で迫力がある。また神社手前の参道には形の整った松並木が所々残り、ヤマツツジの開花時期には美しい姿を見せる。
1556(弘治2)年の建立記録が残る「惣門」や、神明造の「本殿」、また極彩色に彩られた「本殿 内宮殿」など、深い緑の木立の中で荘厳な雰囲気を醸し出している。(林 清)
1556(弘治2)年の建立記録が残る「惣門」や、神明造の「本殿」、また極彩色に彩られた「本殿 内宮殿」など、深い緑の木立の中で荘厳な雰囲気を醸し出している。(林 清)
補足情報
*上野国二の宮:赤城神社はもと一の宮であったが、赤城神社が機を織っているとき、”くだ”が不足し、貫前神に借りて織りあげたので、織物が上手で財持ちの貫前神に一の宮をゆずったという伝説がある。
*上泉伊勢守:赤城山南麓で修練を重ね、新陰流を創始したと言われている。
*上泉伊勢守:赤城山南麓で修練を重ね、新陰流を創始したと言われている。
関連リンク | 前橋市(WEBサイト) |
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参考文献 | 前橋市(WEBサイト) |
2020年04月現在
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