宝川温泉
藤原湖北端から、利根川の支流宝川を1kmさかのぼった所にある。湯は宿の庭の中を流れていく宝川の渓畔に湧き、毎分1,800リットルの湧出量を誇る。川の両岸の露天風呂は4つあり、1つは婦人専用、総面積470畳の広さ。旅館は山峡の一軒宿。
大正時代に湯治場として宿泊施設が作られ、1945(昭和20)年以降、周辺のダム開発で道路と電気が通ってから現在の姿へと発展していった。
大正時代に湯治場として宿泊施設が作られ、1945(昭和20)年以降、周辺のダム開発で道路と電気が通ってから現在の姿へと発展していった。
みどころ
秘湯ブームの先駆けとなった温泉である。大露天風呂から宝川の緑深い渓谷を眺めつつ、湯につかり温まることが最大の魅力である。大露天風呂を含め混浴の露天風呂が3か所あり、女性は湯浴み着で、男性はバスタオル着用で多くの人々が同時に楽しむことができる。
冬、渓谷と露天風呂だけの自然の空間の中、新雪の景色を楽しみながらの湯は格別である。(林 清)
冬、渓谷と露天風呂だけの自然の空間の中、新雪の景色を楽しみながらの湯は格別である。(林 清)
補足情報
*宝川温泉の伝説:日本武尊(やまとたけるのみこと)*が東国征伐の折り当地に寄り武尊山(ほたかやま)に上ったが、病に伏せって困っていると、遙か下界より白い鷹の飛び立つのを見つけ、その地に赴いてみると温泉が湧いていた。その湯に浸かったところ病が治り、旅を続けることができたと伝えられている。そのため宝川温泉はその昔、『白鷹の湯』(はくたかのゆ)と呼ばれていたという。
*日本武尊(やまとたけるのみこと):景行(けいこう)天皇の皇子で『古事記』と『日本書紀』に記されている英雄。諸国を制定したと伝えられ、上毛地域にも各種の伝説がのこる。
*日本武尊(やまとたけるのみこと):景行(けいこう)天皇の皇子で『古事記』と『日本書紀』に記されている英雄。諸国を制定したと伝えられ、上毛地域にも各種の伝説がのこる。
関連リンク | 一般社団法人みなかみ町観光協会(WEBサイト) |
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参考文献 |
一般社団法人みなかみ町観光協会(WEBサイト) 宝川温泉 汪泉閣(WEBサイト) |
2020年04月現在
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