旧有路家住宅(封人の家)きゅうありじけじゅうたく(ほうじんのいえ)

JR陸羽東線堺田駅の北東400m、国道47号に面している。雪の多い東北地方によくみられる広間型*と呼ばれる造りの約81坪の民家。築300年以上といわれ、松尾芭蕉*が「おくのほそ道」*の旅で宿泊したとされる唯一の現存する家である。
 芭蕉は雨に降り込まれ、この家に1689(元禄2)年5月15日から17日(新暦では7月1日から3日)まで滞在したといわれている。囲炉裏のある「ござしき」と土間をはさんで馬屋も同じ屋内にあり、囲炉裏には建物の保全のため、薪がくべられている。有路家は代々この堺田の庄屋であり、仙台領と新庄領との国境を守る封人の家であった。庭には芭蕉の句碑もある。芭蕉がこの有路家に滞在する前後に歩いた宮城県側の尿前(しとまえ)の関付近や「おくのほそ道」でも“最大の難所”といわれている山刀伐峠(なたぎりとうげ)には現在も古道が残されている。また、堺田駅の駅前広場にある「堺田分水嶺」は、全国的にも珍しい平坦な場所で太平洋と日本海へと分かれる分岐点を目の前に見ることができる。
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みどころ

芭蕉は、この家で薪が燃える囲炉裏や屋内の馬屋の光景を目の当たりにして「虱蚤(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと」という名句を詠んだが、その情景がそのまま残っており、追体験できる。ほぼ毎日、囲炉裏に火を入れるのは、文化財保護のため燻蒸(薪を燃やしている)しているとのこと。
 俳句の愛好家や奥の細道の愛読者などの訪問が多い。また、最近では、外国人で日本の文化を体験するため、おくのほそ道の古道を歩く観光客も増えており、最上町としても積極的に誘客活動を行っている。(志賀 典人)
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補足情報

*広間型:広い部屋を中心にして小部屋をまわりに配した型。
*松尾芭蕉:1644~1694年。伊賀上野の出身。俳号は宗房、桃青、のち芭蕉と名乗る。若くして藤堂家に仕え、藤堂良忠とともに北村季吟に学び俳諧を志した。良忠の死後、29歳で江戸へ出て、深川に草庵を結んで芭蕉と号した。このころに蕉風徘諧を開眼したといわれ、俳諧に「さび」を重んじる高度の文学性を加えるに至った。『野ざらし紀行』『笈の小文』『更科紀行』『おくのほそ道』など数々の優れた紀行文を名句とともに残した。
*「おくのほそ道」:おくのほそ道のなかで、この家に泊まったいきさつを「 鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる処なれば、関守にあやしめられて、漸として関を越す。大山をのぼつて日すでに暮れければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」と記している。
関連リンク 最上町(WEBサイト)
関連図書 『奥の細道 松尾芭蕉』古典教養文庫(Kindle版)、2015年、
参考文献 最上町(WEBサイト)
MOGAPO(最上町観光協会)(WEBサイト)
パンフレット「旧有路家住宅(封人の家)」

2020年12月現在

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