旧池田氏庭園きゅういけだしていえん

JR秋田新幹線・奥羽本線大曲駅から南東へ約4kmのところにある庭園。この庭園は旧池田家*1の邸宅に属していたもので、横手盆地北部、仙北地方の平野部のほぼ中央部に位置している。邸宅の敷地面積は約4.2万m2に及ぶ。周囲は「あきたこまち」の米作地帯で耕地整理が良くなされた水田が広がり、東に奥羽山脈、南西に鳥海山を遠望する。
 庭園は1896(明治29)年の陸羽地震で屋敷などが倒壊したのを機に、主屋*2の建て直しとともに造園家長岡安平*3の指導・設計により造営され、大正期中に完成させたものである。敷地は六角形をしており、周囲は石垣を伴う堀や土塁で囲まれているが、これは池田家の家紋「亀甲桔梗」(きっこうききょう)を意識したといわれている。
 敷地の南西部にある主庭園は、中島を有する池泉回遊式の庭園となっており、西岸には巨大な雪見灯籠(高さと笠の径が共に約4m)が据えられ、南東岸に東北地方北部では最初期の鉄筋コンクリート造の2階建洋館*4が建っている。さらに敷地の北半にある流れを挟み庭園は主屋と土蔵などを取り巻くように続き、視点を変えて楽しめるように築山や滝口が設けられ、石灯籠、景石などが配されている。建造当時はプールや運動場もあったという。
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みどころ

平坦なこの地域では屋敷林を備えた散居集落の風景が広がるが、そのなかでもひときわ大きなこんもりとした森が目立つ旧池田氏庭園。
 いかにも大地主の屋敷跡といった風情が漂う正門に入ると、屋敷林に囲まれたアプローチとなっており、その林間からはシンプルだが重厚感のある洋館がみえる。洋館の白亜のタイルが貼られた外観が美しいが、なんといっても内装の壁紙「金唐革紙」の意匠(デザイン性)が高い模様が目をひく。洋館の池を挟んだ反対側には巨大な雪見灯籠が、どっしりとした重量感あふれる姿を見せている。庭園をゆっくりと一巡りすると、周囲の広大な田園風景との一体感が感じられるとともに、いろいろな位置からの視点に配慮した造園になっていることに気付くことだろう。
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補足情報

*1 池田家:享保年間(1716~1736年)、高梨村肝煎孫左衛門が始祖と伝えられ、明治から昭和初期まで村長を務める家柄で、東北地方でも有数の地主として知られた。この邸宅と屋敷を造営したのは第13代の当主文太郎で、私財を投じて学校など公共施設の建設を行うなど村の発展にも大きく貢献した。
*2 主屋:大正期に建設された主屋は1952(昭和27)年に焼失。現在は洋館、5つの蔵などが遺されている。
*3 長岡安平:1842(天保13)~1925(大正14)年。肥前大村藩(現在の長崎県東彼杵町)の藩士の五男として生まれた。明治に入り、東京府の土木掛となり、皇居濠端の植樹、飛鳥山公園や坂本公園などの設計をはじめ、東京の多くの公園整備に携わった。その後、札幌市の中島公園、大通公園、秋田市の千秋公園、白河市の南湖公園をはじめ日本各地において公園及び個人住宅の造園を手がけた。日本における「近代造園の祖」といわれている。
*4 洋館:1922(大正11)年に地元出身の建築家今村敬輔による。東北地方北部で鉄筋コンクリート造が採用された初期の建築物。2階建で正面にドームを載せた塔屋を設けている。外観はシンプルだが、要所要所には幾何学模様で装飾され、外壁は白磁タイル貼となっている。室内は「金唐革紙」(2階は国会議事堂と同じデザイン)が貼られた華やかで凝った造り。