大潟村の「桜と菜の花ロード」と農業景観おおがたむらの「さくらとなのはなろーど」とのうぎょうけいかん

わが国第2の大きさの湖であった八郎潟*1の約5分の4が干拓されて172km2にも及ぶ大水田地帯に変貌した。残り5分の1は船越水道の防潮水門により日本海と遮断された淡水の調整池となっており、干拓地に用水を提供している。
 「桜と菜の花ロード」は干拓地の中央部を東西に走る県道で、総延長11kmにわたり、菜の花が帯のように植えられ、さらには道路の両サイドにはソメイヨシノ・ベニヤマザクラ・ヤエザクラ3,700本と黒松が植栽されている。村の総合中心地にある「サンルーラル大潟」前にも、菜の花畑が広がっている。これらの花の見ごろは4月下旬から5月中旬。
 八郎潟は最深でも4.5mほどであり土壌も肥沃と条件が良かったため、江戸後期から明治期にかけて干拓の計画が練られていた。本格的な事業の開始は、第二次大戦後食糧増産のために調査が始められ、1956(昭和31)年オランダの技術協力のもとに着工した。村づくりも1965(昭和40)年から始められ、1976(昭和51)年に完成した。この間、589戸が入植し、水田の面積が増加した干拓地周辺農家も4,450戸に及んだ。 
 中央干拓地の西側中央には大潟村の中枢となる総合中心地があり、周辺の町村との間にまっすぐ延びる幹線道路が走る。米穀乾燥調製貯蔵施設であるカントリーエレベーターやトラクター、コンバイン等の大型機械を稼働させ、1戸当り水田15haを標準とした大規模機械化農業が進められた。総合中心地には大潟村干拓博物館*2もある。
#

みどころ

「桜と菜の花ロード」は、開花期には黄色い菜の花の帯が11kmに及び並走するように延々と続き、さらにサクラが開花すると桜色に包まれての走行となる。2筋の黄色い菜の花とピンクのサクラの花が両側から迫り、壮観。長い長い直線道路なので、華やかな色合いの花々のなかを走るのは爽快そのもの。
 日本最大の干拓地であるだけに、ともかく広大である。また、水田耕作の大規模化を日本で初めて行ったところだけに、ここでしかみられない機械や農作業の光景をみることができる。
 また、この干拓地の全貌をみるには、大潟村の中心地から16kmほど南にある寒風山の頂上からがお勧め。頂上の展望台からは大潟村はもとより、男鹿半島も遠望でき、南には鳥海山を望む。
#

補足情報

*1 八郎潟:八郎潟は島であった男鹿半島の地殻変動と米代川・雄物川の堆積土砂によって形成された海跡湖*3で船越水道によって日本海と通じる汽水湖*4であった。そのためボラ・シラウオ・ワカサギなど淡塩両水の魚に恵まれていた。面積220km2、東西12km、南北27km、周囲82km、最深4.5mであった。
*2 大潟村干拓博物館:八郎潟に関する資料、干拓の歴史、記録を展示するとともに、大潟村の発展の様子や現在の農業の形態や環境などを紹介しいている。また、都市と農村の交流拠点として、あるいは生涯学習の場としての教育普及活動も行っている。入館無料。
*3 海跡湖:海湾の一部が沿岸流や波浪の作用、土地の隆起などのために外海から分離してできた湖。
*4 汽水湖:海水と淡水との中間濃度の塩分を含む湖。