竹駒神社
岩沼駅の南1kmにある。古くから農業・産業振興の神として信仰を集め、県外からも多くの人びとが参拝に訪れる。特に旧暦2月初午の日から7日間、初午大祭で賑わう。期間中の日曜日(又は土曜日)には、神輿行列がある。
842(承和9)年、小野篁*が陸奥の国守に赴任の折、奥州鎮護祈願として稲荷明神を勧請したのが始まりとされる。1537(天文6)年、伊達14代当主伊達植宗によって再興され、以降、奥州藤原三代、仙台藩主伊達家歴代の庇護を受けて発展していった。衣・食・住の守護神である倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)の三柱の神々を祀り、総称して竹駒稲荷大神と讃えられる。竹駒の名は、岩沼の古名「武隈」の転訛という。
境内は広く、参道には1812(文化9)年造営の入母屋造・銅板葺きで、彫刻が施された2層の随身門、さらに行くと1842(天保13)年造営の唐門がある。その奥にある社殿は、1990(平成2)年の放火によって焼失し、1993(平成5)年に再建されたものである。江戸時代には、初午大祭の期間に馬市が立ち、幕府や南部藩からも馬役人が来て、取引が行われた。境内には馬事博物館*もある。
842(承和9)年、小野篁*が陸奥の国守に赴任の折、奥州鎮護祈願として稲荷明神を勧請したのが始まりとされる。1537(天文6)年、伊達14代当主伊達植宗によって再興され、以降、奥州藤原三代、仙台藩主伊達家歴代の庇護を受けて発展していった。衣・食・住の守護神である倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)の三柱の神々を祀り、総称して竹駒稲荷大神と讃えられる。竹駒の名は、岩沼の古名「武隈」の転訛という。
境内は広く、参道には1812(文化9)年造営の入母屋造・銅板葺きで、彫刻が施された2層の随身門、さらに行くと1842(天保13)年造営の唐門がある。その奥にある社殿は、1990(平成2)年の放火によって焼失し、1993(平成5)年に再建されたものである。江戸時代には、初午大祭の期間に馬市が立ち、幕府や南部藩からも馬役人が来て、取引が行われた。境内には馬事博物館*もある。
みどころ
境内は神木のケヤキやマツなど大樹が繁り、それに負けない規模の風格のある大きな建物が並ぶ。朱塗りの鳥居に迎えられ境内に入り進むと、随身門が見える。江戸時代後期の秀作といわれる。次にくぐる唐門には、破風の壁に、雲龍の彫刻、欄間に波の彫刻、唐獅子の木鼻、虹梁をうける雲龍の籠彫等彫刻に富んでおり、見逃さないようにしたい。
そして、正面に社殿が姿を見せる。1993(平成5)年竣工の社殿は総ヒノキ・銅板葺きであり、本殿は流れ造り、拝殿は千鳥入母屋唐破風の権現造りとなっている。
そして、正面に社殿が姿を見せる。1993(平成5)年竣工の社殿は総ヒノキ・銅板葺きであり、本殿は流れ造り、拝殿は千鳥入母屋唐破風の権現造りとなっている。
補足情報
*小野篁:平安前期の官人・学者・歌人。遣唐副使に任ぜられたが、大使藤原常嗣の専横を怒って病と称して命を奉ぜず、隠岐に流され、のち召喚されて参議。小倉百人一首の「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」で知られる。
*馬事博物館:馬市が開かれていたことにちなむ。仙台城址にある伊達政宗公騎馬像(初代)の原型が保管されている。
*二木の松は、国名勝。竹駒神社の北西200mほどのところに、7代目と伝えられる2本の幹が根もとで結ばれたマツがあり、周囲は史跡公園となっている。古来、「武隈の松」とよばれ、西行や芭蕉も訪れた名高い歌枕の地であった。竹駒神社の境内に、「桜より 松は二木を 三月越」の芭蕉の句碑がある。
*馬事博物館:馬市が開かれていたことにちなむ。仙台城址にある伊達政宗公騎馬像(初代)の原型が保管されている。
*二木の松は、国名勝。竹駒神社の北西200mほどのところに、7代目と伝えられる2本の幹が根もとで結ばれたマツがあり、周囲は史跡公園となっている。古来、「武隈の松」とよばれ、西行や芭蕉も訪れた名高い歌枕の地であった。竹駒神社の境内に、「桜より 松は二木を 三月越」の芭蕉の句碑がある。
関連リンク | 竹駒神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
竹駒神社(WEBサイト) 宮城県(WEBサイト) 宮城まるごと*探訪(公益社団法人 宮城県観光連盟)(WEBサイト) 『宮城県の歴史散歩』宮城県高等学校社会科(地理歴史科・公民科)教育研究会歴史部会=編 山川出版社 |
2023年09月現在
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