瑞鳳殿ずいほうでん

仙台駅の西南、広瀬川が大きく屈曲する右岸の経ヶ峯(きょうがみね)にある。廟所に至る石組の美しい石段と、両側に樹齢380余年にもなる杉の巨木がそそり立つ参道が伊達家栄華の一端を伝える。石段登り口に瑞鳳寺*の本堂があり、向かい側に伊達家公子公女廟、通称「お子様御廟」がある。
 1636(寛永13)年生涯を閉じた伊達氏17世・仙台藩初代藩主伊達政宗の遺命により、翌年、二代藩主忠宗によって経ヶ峯に造営された霊屋である。本殿・涅槃門・拝殿・唐門などが創建され、桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築であった。しかし戦災にあって焼失し、その後再建工事が進められ、1979(昭和54)年、瑞鳳殿の極彩色の本殿・拝殿・唐門・御供所・涅槃門とすべてが完成した。涅槃門をみても、樹齢数百年の青森ヒバが建材として用いられ、焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されている。なお、工事に先立って調査が行われ、『伊達治家記録』*のとおり、鎧・兜や太刀・文箱などとともに政宗の遺体が発掘された。そのほかに、3人の藩主が用いた武具や文具など、数多くの副葬品が発見された。それらは隣接する瑞鳳殿資料館*に収められている。
 2001(平成13)年に、今日みるような華麗な瑞鳳殿に改修された。順路の道をたどると、1985年に再建され一般公開されている2代藩主忠宗の霊屋感仙(かんせん)殿*、3代藩主綱宗の霊屋善応(ぜんのう)殿*が並んで、瑞鳳殿同様の華麗な姿を見せてくれる。
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みどころ

廟所に至る石段は寛永時代の技巧を凝らした石段で、1・2段目の踏面が狭く、3段目が歩幅2歩分広くなり、これが美観的表現で繰り返される。政宗の霊屋からは、ヨーロッパの素材を利用した鉛筆、ブローチ形金製品、板ガラス付き筆入れなどが発見されている。
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補足情報

*瑞鳳寺:坂の中腹東側にあり、政宗の香華所として建てられた。墓地には1877(明治10)年の西南戦争で捕らえられて、県監獄署で病死した鹿児島県人13人がこの地に葬られた。現在7基を残し6基は遺族に引き取られた。
*伊達治家(じけ)記録:伊達家の正史。127巻、136冊。4代藩主綱村の編纂。
*瑞鳳殿資料館:瑞鳳殿の副葬品は仙台市博物館で保存管理されており、ここの副葬品は感仙殿と善応殿が紹介されている。ほかに、三藩主の復顔像が展示されている。瑞鳳殿の見所や、政宗の偉業を紹介する映像も上映されている。
*感仙殿・善応殿:ともに、戦災で焼失後、1985(昭和60)年に再建された。2007(平成19)年に改修されている。伊達家の葬法が変化して、4代藩主綱村以降歴代の墓所は廟建築を排し、一定規格の板石塔婆に雨屋のみとなる。5代藩主吉村以降、夫婦の墓を並列することになり、総称も3代藩主綱宗までの霊屋から御廟へと区別される。明治初年には、伊達家は墓所の祭祀を仏式から神式へ改める。