日本こけし館にほんこけしかん

JR陸羽東線鳴子温泉駅の西2km、鳴子峡入口近くの高台、鳴子公園内にある。故深沢要氏のコレクションを中心に毎年の全国こけしまつりに奉納されたこけしを加え、収蔵、展示を合わせると約1万本のこけしがある。
 1975(昭和50)年の日本こけし館の誕生には、二つのきっかけがあった。一つは、早くからこけしに心惹かれ、こけしを愛した深澤要氏が、コレクションのこけしを1953(昭和28)年に町へ寄贈されたこと。もう一つは、1957(昭和32)から毎年、町のこけし祭に全国の工人たちが心を込めて奉納こけしを送り続けてくれたことである。
 こけしの発祥には諸説あるが、堤人形*や仙台張子の影響を受け、木地屋が湯治場の土産物として考案したという説が有力である。文政年間(1818~1830年)に作並や遠刈田で創作され、天保年間(1830~1844年)に鳴子で製作されたと推定される。また、鳴子には1824(文政7)年生まれの大沼又五郎が、湯治に来た小田原の小物曳きの木地師から技術伝習され、創始したという伝承がある。
 こけしの名前の由来は、江戸時代の子どもたちが、手入れがしやすいように頭頂部の髪だけ残して丸坊主していることが多く、「芥子(けし)」坊主に似ていた。芥子坊主から小芥子が出てきたといわれる。
 国から「宮城伝統こけし」として伝統工芸品として指定されているのが、遠刈田系、弥治郎系、作並系、鳴子系、肘折系の5系統である。
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みどころ

こけし館の展示は深澤コレクションのほかに、小寸のこけしが多い溝口コレクション、故高松宮殿下秘蔵のコレクションなど、数々のこけしのほかに名工と現代の工人を紹介する展示がある。一見どれも同じように見えるが、よく見るとそれぞれが違った表情で、どれもかわいい。見ているだけで微笑ましく、楽しくなる。
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補足情報

*堤人形:元禄年間(1688~1704年)の頃、堤焼を母体として誕生。伏見人形とともに日本の人形の源流をなし、土人形の最高峰といわれる。宮城県の伝統工芸品である。
*1940(昭和15)年に鳴子で収集家、工人等が集まり、仮名書きの「こけし」に統一することが決まった。
関連リンク 日本こけし館(WEBサイト)
参考文献 日本こけし館(WEBサイト)
宮城まるごと*探訪(公益社団法人 宮城県観光連盟)(WEBサイト)
旅東北(⼀般社団法⼈東北観光推進機構)(WEBサイト)
『宮城県の歴史散歩』宮城県高等学校社会科(地理歴史科・公民科)教育研究会歴史部会=編 山川出版社

2023年07月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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