黒石寺蘇民祭こくせきじそみんさい

JR東北本線水沢駅から南東へ約8km、東北新幹線水沢江刺駅から南南東へ約7kmの距離にあり、奥州三十三観音の霊場として多くの信者を集める黒石寺で行われる祭り。
 五穀豊穣・無病息災を祈る祭りで、旧暦の1月7日夜半から翌早暁まで、「裸の男と炎の祭」とし、災厄を払い、五穀豊穣を願う裸参りに始まり、井桁に積み上げた生松割木の上で火の粉を浴びる「柴燈木登(ひたきのぼり)」、厄払いと五穀豊穣を祈祷する「別当登(べっとうのぼり)」、鬼面を逆さに背負った男児を背負って薬師堂に入る「鬼子登(おにこのぼり)」などの行事が夜を徹して行われる。翌朝午前5時頃、暁にかけて、裸の男たちによる蘇民袋*争奪戦があり、最後に奪った者の住む方角がその年豊穣多福と信じられている。
 祭りの起源・由来は、『備後国風土記』の逸文によると、北海より南方に旅をしていた武塔神が人間に化身し、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)*と裕福な巨丹将来(こたんしょうらい)という2人の兄弟に一夜の宿を求めたところ、巨丹将来はこれを拒み、蘇民将来は快く旅人を泊め粟飯で貧しいながらも精一杯もてなした。それから数年後、妻を娶り子を為した蘇民将来の所に再び武塔の神が現れ、自分の正体が建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)であることを明かすと、共に茅の茎で作った輪を身に付け「我は蘇民将来の子孫である」と唱えれば無病息災が約束されるであろうと告げたとされ、この逸話を基に平安時代中期には蘇民祭の原形が出来上がっていたのではないかと考えられている。武塔の神の正体も地域により様々で、黒石寺においては薬師如来であったとされる。1200年以上の歴史があるとされる。
#

みどころ

氷点下になる厳冬期、夜から翌朝までという時間帯、ふんどし一つで裸の男達が水業から始まり、いくつかの行事を行うまさに奇祭であり、圧巻という一言に尽きる。特に、柴燈木登で、強靭な裸男たちが炎と煙の中に立ち現れる姿は幻想的。将軍木(かつのき)で作った小間木(蘇民将来護符)を入れた麻袋を裸の若者が奪い合う蘇民袋争奪戦は、参加者の気合で怖いくらいの熱気があり、迫力に圧倒される。蘇民袋の争奪戦は、この祭のクライマックスで、厳寒をものともせず裸の男達のエネルギーが激しくぶつかり合う。
#

補足情報

*蘇民袋:麻袋には護符が入っており、これはヌルデの木でつくられた六角柱状の蘇民将来で、五穀豊穣・無病息災の祈願がこめられているという。長さ約57cm・径1.3cmの長尺の護符から、さらに1寸(約3cm)の小さな護符をいくつか作りだし、これを蘇民袋に入れる。文字入りのものは長尺の護符の頭部に一つだけ、「蘇民将来子孫門戸☆」と2字づつ右回りに墨書きされており、あとは・・・と省略されている。
*蘇民将来(そみんしょうらい):各地に伝わる説話や伝承に登場する人物名。その説話や伝承が基礎となって、蘇民将来は災厄を払い、疫病を防ぐ神として広く信仰(=蘇民信仰)されている。