金ケ崎町城内諏訪小路かねがさきちょうじょうないすわこうじ

JR東北本線金ケ崎駅から徒歩5分に位置する。旧金ケ崎要害の城と武家町のほぼ全域にあたる地域。江戸時代は大町氏3000石の城下町。仙台藩伊達領の最北端にあたり、対盛岡藩の拠点として「金ケ崎要害」と称された。今も表小路・達小路などに武家屋敷のたたずまいが見られる。
 金ケ崎要害とは、伊達氏が大身家臣に治世に当たらせた藩の重要拠点「仙台藩21要害」*のひとつで、北上川と胆沢川の合流点北西の舌状台地上にある。城、武家町、足軽町、商人地からなり、1644(寛永21)年にこの地に移封となった大町備前定頼によって、その骨格が整備されたといわれている。
 武家町の小路は江戸時代からのもので、鉤形や桝形、弓形の道路を組み合わせた城下町特有の形態。各屋敷地は生垣で区画され、その切れ目から敷地内に入ると、桜、松、サルスベリなどで構成された庭園、茅葺寄棟造りの大屋根が特徴の侍住宅、北西部のエグネ(屋敷林)などが残り、往時の景観を今に伝えている。
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みどころ

戦略上、重要な場所に築いた要害だけあって、豊かな自然に囲まれている。寄棟造りの武家屋敷など見学できる建物や飲食店などがあり、江戸時代の面影を感じながら楽しめる。おすすめはエグネ(屋敷林)、生垣に囲まれた何気ない道を歩いて散策すること。いまや貴重な未舗装路を歩いて、独特な雰囲気を感じてほしい。
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補足情報

*仙台藩21要害:江戸時代、幕府は1つの藩に1つの城だけしか認めていなかったが、仙台藩は白石城以外にも「要害」、「所(ところ)」、「在所(ざいしょ)」と呼ばれる、各地域の拠点となる施設が認知されていた。
要害とは城に準ずる扱いで軍事的に重要な地域に、所は要害を欠くか少ない地域に、在所は要害や所より規模や知行高が小さい地域に、それぞれ置かれた。このうち要害は、中世城館を再利用したものがほとんどで、伊達氏は一門、一家、着座(上位家格の分家など)の有力家臣に要害と城下町を一括的に管轄させていた。要害は時期によって多少の増減があるものの、基本的に21箇所(岩谷堂、人首、上口内、金ヶ崎、水沢、高清水、宮沢、佐沼、岩出山、登米、涌谷、不動堂、岩沼、船岡、川崎、角田、金山、平沢、亘理、坂元、新地)が知られている。