旧第九十銀行本店本館きゅうだいくじゅうぎんこうほんてんほんかん

旧第九十銀行本店本館は、盛岡市中心部にあり、1910(明治43)年12月に完成した。設計は東京帝国大学を卒業して間もない、盛岡出身の建築家横濱勉によるもの。
 構造は、煉瓦造2階建(一部地下1階)、建物面積264.61m2、正面から見て非対称の建物で、屋根はドーマー窓*により飾られ、天然スレートおよび銅板で葺かれたマンサード型*を基本とし、建物の隅石や入口・窓のアーチは川目産の花崗岩の切石で飾られている。明治期の銀行は営業室を高い吹抜けとするのが主流だったが、ここでは2階に広い総会室(集会室)を設け、1階を営業室・客溜・金庫室・頭取室および応接室としている。
 大正期にあらわれる表現主義建築*の先駆けとされ、外観は重厚感のあるロマネスク・リヴァイヴァル様式*、内部は直線的でシンプルなデザインのゼツェッシオン式*の影響がみられ、19世紀末の欧州での建築運動をいち早く反映させたものとして、我が国の近代建築史上重要な建造物と評価されている。
 建物は現在、盛岡市が所有し、2002(平成14)年から「もりおか啄木・賢治青春館」として公開している。盛岡で青春期の10年を過ごした石川啄木*と宮沢賢治*を紹介する常設展示室、美術展やコンサートを開催する展示ホールなどを見学することができる(無料)。
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みどころ

ドイツ風ロマネスク様式(11~12世紀)を汲む意匠が各所にちりばめられた建物。明治期の銀行建築でありながら「大正デモクラシィ」の先駆的な雰囲気を感じる。この建物を利用して石川啄木と宮沢賢治という郷土の偉人二人の青春時代を紹介されている。二人の生涯、盛岡の街を想像し、ロマンティックな気分になれる施設である。
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補足情報

*ドーマー窓:ヨーロッパの建物によくみられる、屋根に突き出している小さな三角屋根などが付いた窓のこと。
*マンサード型:上部を緩勾配、下部を急勾配とした二つの傾斜面をもつ屋根。
*表現主義建築:20世紀初頭にヨーロッパで見られた建築様式。多分野にわたる表現主義運動の一環として、1910(明治43)年頃のドイツ語圏や北欧で始まった。初期のモダニズム建築が採用した材料の革新や社会の大衆化にともなう斬新なデザインに特徴がある。レンガや鉄、ガラスなどの大量生産によってもたらされた新たな技術的可能性にも着想を得ている。
*ロマネスク・リヴァイヴァル様式:11世紀から12世紀のロマネスク建築に着想を得た19世紀後半によく見られた建築様式。丸いアーチ、窓の上の半円アーチ、蛇腹層(壁面の帯状の層)が特徴で、本来のロマネスク様式に比べると、アーチや窓の装飾は単純化されている。
*ゼツェッシオン式:セセッションとも呼ばれ、「分離派」と訳される。19世紀末~20世紀初頭のウィーンで生まれた芸術運動に由来する。ウィーンで活躍していた建築家オットー・ワーグナーや画家グスタフ・クリムトを中心に、既存の芸術から分離して新しい表現を探ろうという意図で命名された。
*石川啄木:1886(明治19)年〜1912(明治45)年。明治時代の詩人・歌人。本名は一 (はじめ) 。岩手県の生まれ。盛岡中学中退。早くから明星派のロマン主義的詩人として知られた。北海道・東京など各地を転々とし、貧苦と病苦の中で、生活に即した平明な3行書きの短歌をよむ。晩年、社会主義思想に傾斜。代表作に小説『雲は天才である』、歌集『一握の砂』『悲しき玩具』、評論『時代閉塞の現状』など。
※「啄」の表記について、本来キバ付きが正しい表記ですが、環境依存文字のため「啄」と表示しています。
*宮沢賢治:1896(明治29)年~1933(昭和8)年。大正から昭和時代前期の詩人、童話作家。1921(大正10)年稗貫(ひえぬき)農学校教諭となる。1924(大正13)年詩集「春と修羅」、童話集「注文の多い料理店」を自費出版。1926(大正15)年花巻市郊外で開墾自炊生活にはいり、羅須地人(らすちじん)協会を設立して農民指導に献身した。岩手県出身。盛岡高農卒。作品はほかに「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。