岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館いわてぎんこう(きゅうもりおかぎんこう)きゅうほんてんほんかん

盛岡市中ノ橋通の交差点に位置する。1911(明治44)年に盛岡銀行の本店行舎として落成し、1936(昭和11)年に岩手殖産銀行(のちに行名を岩手銀行に変更)がこの建物を譲り受け、本店として利用しはじめた。その後、1983(昭和58)年に岩手銀行新社屋完成に伴い中ノ橋支店となった。
 設計は東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎で有名な辰野金吾*によるもので、辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品である。2012(平成24)年8月3日に銀行としての営業を終了し、約3年半に及ぶ保存修理工事を経て、2016(平成28)年7月17日に「岩手銀行赤レンガ館」として一般公開を開始した。
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みどころ

瀟洒な赤レンガ建築の建造物で、角地という立地条件がよく、盛岡のランドマークといえる。赤煉瓦造りに緑のドーム、外観はルネッサンス風の輪郭の厳格さを表し、市街地の中心部に位置して、中津川と中の橋と一体となって盛岡の代表的な景観を形成している。
 東京駅を彷彿させる煉瓦造りの外観、銅板葺の屋根、ドーム部分のスレート葺、南東隅にドームを冠した八角塔と南側に矩形塔を配した出入口、2階の回廊、天井に石膏モチーフを施した豪華な内装など、書ききれないほどの魅力が結集している。明治期の美しい近代建築であり、そこにいるだけで五感が研ぎ澄まされていくようだ。
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補足情報

*辰野金吾:1854(嘉永7)年~1919(大正8)年。明治から大正時代の建築家。1879(明治12)年工部大学校(現東京大学)卒業後、イギリスに留学し、主としてバージェスW.Burgesのもとで設計を修業する。帰国後、1884(明治17)年東京帝国大学工科大学教授となり、伊東忠太、関野貞ら後進を育てる一方、1986(明治19)年新興建設資本と協力して造家学会(後の建築学会)を結成した。明治中期以降の創成期日本近代建築界を主導し、その性格を決定づけた。代表作に日本銀行本店、東京駅など。肥前唐津(佐賀県)出身。