姫神山ひめかみさん

いわて銀河鉄道(IGR)渋民駅の東8km、登山口まで自動車で約25分、北上川をはさんで岩手山と相対して位置する。岩手山、早池峰山と並び、霊山として知られている。外山早坂高原県立自然公園内にあり、姫神自然観察教育林になっている。
 標高は1,123.8m、なだらかな裾野を引く円錐形の山容で、登山が容易で日帰りのハイキング地として人気がある。頂上からは岩手山の眺めがよく、水芭蕉・スズランの群落もあり、6月上旬には白い花が咲く。登山口は一本杉登山口、こわ坂登山口、田代登山口、城内登山口の4コースがある。
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みどころ

ゆったりと裾野を広げ、どこから見ても三角形の独立峰で美しい山容が特徴で、市街地からも遠望できる。花崗岩の巨岩群を残す山頂には、石仏や祠があり信仰の山であることを感じられる。デイハイクできるので、初心者からベテランまで訪れる山であり、快晴なら山頂から岩手の名だたる山々が一望できる。
 一本杉登山口から約10分ほど歩くと出会える一本杉は、他の杉と比べて格段に直径や樹高が大きく、この杉を目指すハイキングもおすすめしたい。
 いわて銀河鉄道の車窓からの姿は惚れ惚れする。 深田久弥は姫神山を百名山には選んでいないが、岩手山の記述の中で、渋民村の石川啄木の歌碑の傍らに立って、「岩手山を仰いだ。実に男らしい山であった。振返ると反対側には、すっきりした優しい姿で姫神山が立っていた。男山と女山の美しい対照に私は見惚れた。」 と述べている。
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補足情報

*延暦年間(782~806年)坂上田村麻呂*が、岩手山の蝦夷討伐の折、立烏帽子神女(たてえぼしひめ)を姫神山頂に祭って姫ヶ岳と呼んだという。姫神山と岩手山は夫婦であったが、早池峰山に心変わりした夫の岩手山は妻の姫神山を目の届かぬところに送り届けるよう送瀬に命じるも、姫神山の未練の深さに送瀬は送るのを途中で止めてしまう。これに激怒した岩手山は送瀬の首を刎ね怒り狂って噴火を繰り返した。のちに岩手山は己の所業を悔い、刎ねた首を傍らに置いたと言われ、その首が鞍掛山で、送瀬は今の送仙山と言われている。
*坂上田村麻呂:758(天平宝字2)~811(弘仁2)年。平安初期の武将。794(延暦13)年に蝦夷(えぞ)を征討し、797(延暦16)年に征夷大将軍となった。その後、胆沢城(いさわじょう)を造営し、蝦夷地平定に功を残した。